三島由紀夫は女系天皇を容認していた!?憂国忌での改憲論と皇室論
先日の11月25日、星陵会館で執り行われた第51回憂国忌に参加した。 51年前の当日は、三島由紀夫・森田必勝ら楯の会有志4名が市ヶ谷の防衛庁(当時)総監室を占拠、バルコニーから自衛隊に檄を飛ばし、憲法改正すら出来ない戦後の日本と日本人に「生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる」と諫死した日であり、憂国忌は三島・森田両烈士を追悼する集いである。 ゆえに、憂国忌のテーマや内容は毎年違うものの、 […]
SEの良心 とあるシステムエンジニアの日常
先日の11月25日、星陵会館で執り行われた第51回憂国忌に参加した。 51年前の当日は、三島由紀夫・森田必勝ら楯の会有志4名が市ヶ谷の防衛庁(当時)総監室を占拠、バルコニーから自衛隊に檄を飛ばし、憲法改正すら出来ない戦後の日本と日本人に「生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる」と諫死した日であり、憂国忌は三島・森田両烈士を追悼する集いである。 ゆえに、憂国忌のテーマや内容は毎年違うものの、 […]
令和02年11月25日は、三島由紀夫烈士と森田必勝烈士の没後50年という節目の年で、その追悼の集いである「憂国忌」が永田町の星陵会館で執り行われ、私も参加した。 今年は日本文化チャンネル桜でライブ中継が行われており、私個人が思うことを記事にしたところで価値はないだろうと思う。 そこで本稿では、会場で配布された憂国忌の冊子から森田治氏(森田必勝烈士の兄君)の「憂国忌五十年に寄せて」と、「憂国忌五十周 […]