【サンマ不漁】秋の味覚と佐藤春夫「秋刀魚の歌」と~目黒のさんま祭りに寄せて

【サンマ不漁】秋の味覚と佐藤春夫「秋刀魚の歌」と~目黒のさんま祭りに寄せて

9月に入り、まだ残暑はあるものの、かなり過ごしやすくなってきた。大人になると子供の頃より生活の変化が乏しいのか、月日が経つのが異常に早く感じる。
もう秋か」と、人生の秋に差しかかっている自分が思うのも変な話だが、秋の味覚は色々あれど、私は何と言っても「サンマの塩焼き」が外せない。しかし、近年はサンマが不漁で値段も高く、このままだとサンマが高級魚になりかねない勢いだ。

どうしても食べたかったサンマの塩焼き

私は人より早くから仕事に就き、その分、家庭料理には飢えていた(いや、今でもだが)。仕事は多忙を極め、自宅に私の夕飯の用意はなかった。「なら一人暮らしでもいいんじゃね?」と、中学生の頃から独立心が旺盛な私は、高校時代の悪友の口車にウッカリ乗ってしまい、18歳の頃には武蔵野市の朽ちかけて廃業していた牛乳屋の2階の一室に移り住んだ。その後色々とあって寝たきりになった母の介護のために実家に戻ったが、母が寝たきりを脱しても、母と若い私の確執は深まるばかりだった。
私は元々食に関して執着するタチではなく、それでも早くから料理を覚えていたので、「食べたい」と思えばカキフライを大量に揚げてはタルタルソースまで自分で作ったりもするが、「どうでもいい」と思えば即席ラーメンで一向に構わない。そんな私でも秋になれば「サンマの塩焼き」だけには執着する。特に理由はなく、食べたくなって仕方がなくなるのだ。
当時、母が寝たきりから脱していても自宅に私の夕飯の用意がないので、もっぱら仕事帰りに同僚や友人と呑み歩き、ついでに夕飯も済ませる毎日だった。それはそれで楽しくもあったが、やはり秋になると「サンマの塩焼きでメシが食いたい」衝動に駆られた。最近は居酒屋でも定食屋でもサンマを食わせる店は普通にあるが、20年ぐらい前は意外とサンマを食わせる店がなかったのである。
スーパーで一尾90円ぐらい(今は倍ぐらいか?)の生サンマを購入し、ガスコンロで焼けばいいだけの話であるが、当時はなかなかそれが出来なかった。だって、自分が食べるゴハンがないのだから。ある時、どうしても我慢が出来なくなった私は、自分用に無洗米を購入し、休みの日に炊飯器がカラの時を狙って大量にゴハンを炊き、ラップに包んで冷凍する挙に出た。そのために、電子レンジを新調したほどだ。
数年来我慢し続けて、やっとサンマの塩焼きでメシが食えた時の喜びは、今でもいやに覚えている。佐藤春夫の「秋刀魚の歌」ではないが、「さんま、さんま、さんま苦いか塩っぱいか」を味わい、(「秋刀魚の歌」とは真逆に)涙を流すほど満ち足りた気分になったのである。

目黒のさんま祭り今年は冷凍サンマ?

サンマは日本の南方沖で孵化し、黒潮に乗って北上して北太平洋を広く回遊する回遊魚だと言われている。夏の終わりから秋にかけて親潮に乗って日本近海を南下するので、この時期に脂が乗ったサンマが北海道沖や三陸沖などで捕獲されて市場に出回るのだが、2015年頃から不漁が続いている。理由として、支那・台湾・韓国の漁船が日本近海にサンマが南下する前に公海上で「大量に先取り」してしまうから、らしい。近年の「日本食ブーム」により、今まで見向きもされなかった魚介類が世界的にニーズが高まり、特に支那・台湾・韓国が巨大な漁船で乱獲している、という事実があるようだ。
日本は太古の昔から近海の海洋資源を守りながら漁業をして来た伝統があり、近年の隣国による乱獲に対して、北太平洋漁業委員会で「サンマの漁獲枠の導入」の提案をして来ていた。先ごろようやく支那が軟化したようで(?)漁獲総量を年間約55万トンに制限することで加盟国が合意することになった(「サンマ漁獲枠導入合意も 見えぬ乱獲抑止の打開策産経新聞・2019年08月31日)。
私は素人なのでサンマの漁獲量年間55万トンが妥当な数字なのか、それによって乱獲が防げるのか、全く分からない。それに、近年の異常気象とともに海水温が上昇していると指摘されており、回遊魚であるサンマの回遊ルートが変化している、という指摘もあるようだ。
そんな中、毎年この時期に落語「目黒のさんま」で知られる(?)目黒駅の駅前商店街では「目黒のさんま祭り」が開催される。私は一度も出掛けて行ったことはないが、ニュース等で知ると「ああ、秋だなぁ」としみじみ思う風物詩のひとつだ。

ところがサンマの不漁により、今年は冷凍サンマで対応するようだ(「目黒のさんま祭り、冷凍提供も 宮古市が不漁受け検討岩手日報・2019年09月04日)。
どおりでスーパーに行っても「生サンマ」が無いハズで、今年は去年の8分の1程度しか水揚げされておらず、正に「激減」状態だと言えるだろう。
・・・サンマの塩焼きが食べたい私は、今年は発狂するかも知れない。とりあえず、若い頃に読んだ佐藤春夫の「秋刀魚の歌」を掲載して、落ち着こう。

佐藤春夫「秋刀魚の歌」

あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉(ゆうげ)に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま
そが上に青き蜜柑(みかん)の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかの団欒(まどい)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。

さんま、さんま、
さんま苦いか塩つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。

さんま苦いか塩っぱいか

佐藤春夫の「秋刀魚の歌」は、多少でも文学に興味がある人なら知っていると思うが、谷崎潤一郎の千代夫人と佐藤春夫との愛の詩であって、千代夫人を思う佐藤春夫の思慕の歌である。神経症になるまで思い悩んだ佐藤春夫は郷里に引きこもり、この詩を書いた。
当時は大日本帝国憲法の時代で、刑法に「姦通罪」があったのだから、単純に「背徳の愛」で片付けられるような時代ではなかっただろう。谷崎潤一郎佐藤春夫は絶交状態になるが、7年後に和解して佐藤春夫と千代は谷崎潤一郎の了解を得て結ばれるのだが。
この動画は佐藤春夫のパッションが迸っていると思うが、どうだろう。「秋刀魚の歌」を本当に歌っちゃうのが斬新で良い。

当時は冷凍技術がなかったから、サンマの内蔵も「苦さ」を楽しみながら食べたのだろう。「塩っぱい」のは塩の振り過ぎその涙の味であったのは言うまでもない。
文学の主題はいつの時代でも「恋愛」であって、叶わぬ恋がテーマなだけに、「秋刀魚の歌」は人々に愛されたと言えるかも知れない。そしてサンマは日本人にとって身近な魚であり、煙をもうもうと立たせながらサンマを焼く独り身の切なさは、(特に今の私は)大いに共感するところだ。
そのサンマが食べられないとは・・・ガッデム!

おわりに

今週末が「目黒のさんま祭り」であり、タイムリーだし自分の不満を吐き出すには丁度いいと思った。(๑ >؂•̀๑)テヘペロ
私の不満はどうでも良いが、ご存知の通り不漁なのはサンマだけではない。クロマグロやウナギ、それにスルメイカやカツオ、サクラエビまでもが不漁になっている(日刊水産経済新聞参照)。
日本には世界に冠たる養殖技術があるが、こうまで不漁だと「じゃ、養殖で」とは行かない。養殖するには育てるエサが必要だし、それだけコストがかかる。サンマのように安い大衆魚を養殖していたのでは(現状では)割に合うハズがない。
海洋資源保護はもとより、勝手なことをする隣国を何とかする必要があるだろう。それには舐められないだけの軍事力がなければならない。全ては国防力があってこその発言力であるのだから、日本人はいい加減目を覚ました方が良い。このままだと、そのうちサンマが食べられない未来が来てしまう。

 

 

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