【植松努】思い描くことができれば、それは現実にできる

私が植松努さん応援ブロジェクトを知ったのは、2年ぐらい前だろうか。
植松努さんは北海道の中小企業(失礼!)ながら、誰も出来ないロケット事業を推進する企業で、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の信任も厚い稀有な会社を経営しておられる。
そんな植松努さんの半生がマンガとして出版されているのをご存知だろうか?
広島にあるインフィニティという中小企業(失礼!)が、『心を育てる』感動コミック植松電機①』として出版している。
知っている人は知っているが、やはりまだまだ知らない人が多いと思うので、2学期を地獄の思いで過ごしている児童・生徒のため、敢えて書いてみようと思う。

「どうせ無理」じゃねーよ!

植松努さんは北海道出身で、北海道の小中高校を出て北海道の大学を出ている。
幼少の頃から飛行機に興味があって、飛行機に関する仕事をしたくてそういった大学を出たし、派遣社員だったようだが、零戦を設計・開発した某企業の系列企業(愛知県)で仕事をした。夢は飛行機から宇宙でのロケット開発にシフトして行くが、父が創業した植松電機に戻って模索したのだ。
一般に、航空宇宙分野の学問や研究は東大か、アメリカの大学や研究機関(分かりやすく言えばNASA等)でやるのが一番だろう。そして大企業や、それに類する研究機関に就業するのが早道なのかも知れない。
だが、地理的にも経済的にもそれが厳しいとき、地方にいて経済的にも「どうせ無理」と諦めてしまうのだろうか?
私もそうだが、「やりてーからやるんだよ!」と思い込むし、考えてしまう。そして行動するかどうかは人それぞれだが、実際に行動を起こすからやれるのである。
無理だ」と思うのも勝手だが、「やれる!」と思うのもまた勝手だ
若ければ頭の中で安易に「オレならいくらでもやれるんじゃね?」と思うかも知れないし、それでいいじゃんか。
実際にやってみて、ダメならほかの方法を考えればいいのだし、失敗しない人は実際に伸びない。
と言うより「やりもしねーであーだこーだ言い過ぎな大人が多いんだよ!」と思うし、失敗しない人生を歩みたいなら、何もするな!としか言えない。そして貴重な人生を浪費すればいいだろう。
そうは言っても、何もしないヤツ等が何かをしようとする君等をあざ笑うだろう。
世の中なんて、そんなモンだ。そんなモンだが、「どうせ無理」と諦めるより、「だったら、こうしたらどうだろう?」と考えるのが自由かつ柔軟な発想ではないだろうか。
人生は、恐らくそういった試行錯誤の連続で、試行錯誤しなければ結果も得られない。植松努さんは、エジソンばりに試行錯誤しただろうし、これからも試行錯誤をする人なのだろう、と思う。

植松努さんも不登校だった中学時代

学校で「友達が出来ず、担任の先生も好きになれない」のは普通だ。
それだけで中学をフケる(バックレる)理由としては十分だろう。中学校は義務教育だが、強制的にどうしても行かなきゃならない理由はない。イヤならバックレれば良い。実際にバックレた私が言えるのはそれだけしかない。
しかし、義務教育をバックレるなら、それを補完するだけの勉強なり努力はしないとダメだ
つまり、マンガ以外の本を読むなり、独自で勉強するなりして、無為に過ごさないことだ。
植松さんも中学校では友達も出来ず、担任も好きになれず、学校という小さい世界の中で苦悩したようだ。それは自伝マンガにもあるが、私には良く分かる。
どうしても東大に進学したい人はちょっと別だが、中学ぐらいなら、いくらでも寄り道をして色々な本を読み、独自に勉強したらいいのではないか、と個人的に思う。
学校だけが勉強の場ではないし、学校の成績が有効なのは大学卒業ぐらいまでの話でしかない。社会に出たら、いくら学生時代の偏差値が高かろうが、卒業した大学が優秀だろうが、そんなモノは屁の突っ張りにもならない
敢えて疑問を呈すが、東大を卒業して社会に出れば誰もが高収入で幸せなんだろうか?
私は違うと思う
東大卒業生の全部が全部、国家一種を取って官僚になるワケでもないし、仮に国家一種を取って官僚になっても、省庁自体にヒエラルキーがあり、省庁内でもヒエラルキーと熾烈な競争がある。
東大は様々な学部・学科があり、研究機関もあるが、だからと言って東大が万能なワケではない。しかも東大を筆頭に、大学を卒業したからと言って、幸せな人生なんて約束はされていない
なにを以て「幸せ」かは個々人の心のありようだから限定は出来ないが、少なくとも「幸せ」になりたいのなら、学校に限定せず、常に勉強するなり努力して、豊かな生活をしなければダメだろう。
別に貧乏でも良い、心が豊かでありさえすれば。
また、時期的に小中高校生は、夏休みが終わって2学期が始まったことだろう。中にはイジメ等でツライ立場にいる児童・生徒もいるかも知れない。
ほとんど気休めにもならない私の駄文だが、自殺を考えるぐらいなら、ぜひ読んでもらいたい。

卒業した小学校に寄贈した思い

私は植松努さん応援ブロジェクトを知るや、すぐさま応募した。自分が卒業した小学校に寄贈し、ぜひ母校の小学生に読んでもらいたいからだった。
しかし、小学校を卒業したのは遥か昔だし、当時お世話になった先生方はとっくに定年退職している。私には子供がいないので、ツテがまったくない状況だ。
それに昨今の小中学校は防犯の関係から、かつての卒業生とは言え、部外者が気軽に訪れることもままならない。
私が卒業した小学校は公立だが歴史が古く、確か私が小3の時だったと思うが、創立100周年の人文字をやって、空撮をしたような小学校だ。何故かその人文字に参加したのを覚えている。
校歌の作曲は山田耕筰で、実は大学の母校の校歌を作曲したのが、当時売り出し中の山田耕筰だった。
山田耕筰が初めて校歌を作曲したのが私の大学の母校なのである。その山田耕筰が、これまた私の母校である小学校の校歌を作曲したのだから、どんだけスゴイかお分かりになるだろう(確認のためネットを調べてみたが、当の小学校を含め、校歌の情報が一切ない。なんで?)。
ともあれ、何度か仕事の合間に電話をし、やっと教頭先生とお話が出来た。
私の意向を伝えたのだが、どうも迷惑そうな感じがヒシヒシと伝わる。それでメゲるような人間ではない私は、教頭先生に寄贈の了解を得ると、手紙を添えて郵送(送料は私持ち)で発送した。
本当なら地元だし、手渡したかったのだが、それはどうも無理のようであった。
クラスの数は教頭先生から聞いたので、5年年生か6年生のクラスに1冊で良いだろうと4冊を寄贈したのだが、小学校側からは何とも言って来ない。
届いた」とも言わないのである。本当に児童が読めるようにしてくれたのだろうか?
もとより感謝をして欲しくて寄贈したのではない。学校の先生が読んでくれれば、マンガとは言え、その良さが分かってくれると信じた。そして児童が手に取って読んでくれさえすれば、それで良かった。追加で欲しいと言ってくれれば、何冊でも購入し、寄贈するつもりでもあった。それが植松努さんを応援することにもなる。

さらに言えば、「中学生はどうかなぁ?」とは思いつつも、卒業した地元中学校にも寄贈しようと考えていたのだ。
ところが、寄贈した小学校がまったくの無反応で、恐らく迷惑以外の何者でもなかったのではないか?と思って落胆した
もう、中学校に寄贈しようとするモチベーションすら失った。中学校はサボリまくったものの、当時お世話になった小学校と中学校に、ささやかながら、お礼がしたかっただけなのだが。

思い描くことができれば、それは現実にできる

植松努さんや、私が言いたいのは「思い描くことができれば、それは現実にできる」という、たったこれだけのことでしかない。
とは言え、思い描くことも、それを実現することも、並大抵で容易なことではない。
その昔、松下幸之助と、あるナショナルショップの店主がこんな問答をした。

店主「最近、商売が思わしくなくて困っているが、なにかいい方法はないでしょうか」
松下「この不況の中で、利益が上がらないと言うのも、一面、無理からぬことかと思います。しかし、あなたはこれまで、小便が赤くなるほど、心配されたことがありますか
店主「いいえ。私にはまだそういう経験はございません」
松下「それはいけませんな。四十年も経っているお店がいま、むずかしい事態に直面している。そんなときに、まだ小便が赤くなるほど心配もしないうちから、なんとかならんかと訴えるのは、間違っているのではないですか

ちょっと解説をすると、店主はナショナル(現在のパナソニックの昔の商標)製品の卸値が高いから、安く販売することが出来ないので商売が思わしくない。だから卸値を安く出来ないか?を訴えた。
ところが松下幸之助は、「その前に血尿が出るほど努力したんかいな?」と言っている。
何が言いたいのかと言えば、思い描くぐらいはある程度誰にでも出来る。しかし、血尿が出るほどの努力をしなければ、思い描く通りにはならない、ということだ。
蛇足ながら、「卸値が下がれば安く売れるから単純に売上が上がる」のは間違いないだろう。
しかし、それが店主と購入者の「幸せ」にならないことを松下幸之助は見抜いていて、「その前にやることあんだろーがよ?(゚Д゚)ゴルァ!!」と優しく言っているのである。
松下幸之助とすれば、安くて良い製品を供給するのはメーカーの使命ではあるが、卸値を不当に安くしたり、安いだけの製品を製造するのは、メーカーとして命取り(自社従業員の生活を脅かすことになりかねない)であるのも、十分に知り抜いているのである。
ともあれ、まず自分の理想やなりたい姿が思い描けないのなら、それは夢でも目標でも何でもない。そして思い描くだけではダメで、行動が伴わなければ意味がない
ちなみに、私は中2で血尿が出た。スゲー痛いのでビックリした(笑)。私のアプローチや努力は間違っていたかも知れないが、それだけ本気でプログラマになりたかったのである。
結果として私は、痴的で貧のあるSEになったのだ。馬犬 目 ぽ…_φ(゚∀゚ )アヒャ

おわりに

武田龍夫福祉国家の闘い』の第二章「福祉社会の裏側──その光と影」の冒頭に、こんなエピソードが紹介されている。
一世紀を生きてきた老人に、大学生が尋ねた。

お爺さんの一生で何がもっとも重要な変化でした?

大学生は、二度の世界大戦か原子力発電か、あるいはテレビ、携帯電話、パソコンなどの情報革命か、それとも宇宙衛星か等の回答を予測した。しかし、老人の回答は大学生の予想もしないものだった。

それはね──家族の崩壊だよ

1990年代後半から2000年代の前半ぐらいまで、北欧のスウェーデンは「ゆりかごから墓場までの社会福祉」国家として、日本でも盛んに報道されたし、議論されたものだ。結果としてこのお爺さんの言う通りのことが発生し、スウェーデンは凋落したのである。
現在の日本でも、同様のことが言える。今や両親の共働きは当たり前で、「家事や育児は男性も負担すべき」といった風潮がある。
両親の諍いの中で、取り残されるのはいつもその子供だ。家庭の問題は、学校生活で表面化する。
イジメる側も、イジメられる側も、同様に家庭に問題があると思って間違いないだろう。
子供の躾までをも学校に任せてしまうようなモンスターペアレントは問題だが、学校を孤立させた地域社会にも問題があるだろう。
また、2002年に文庫で出版された『希望の国のエクソダス』で、村上龍は「この国には何でもある。ただ、『希望』だけがない」と書いた。
経済が停滞し、閉塞感の漂った日本で、社会に絶望した約80万人の中学生達が学校を捨て「ASUNARO」を結成する。そしてネットを駆使して新たなビジネスを始める、といった内容の作品だが、当時仕事をしながら大学生をしていた私は、読んで強い衝撃を受けたものだ。
家族が崩壊しつつあり、相変わらず希望が見出せにくい現在の日本で、この記事の内容は空疎な絵空事だと一笑に付されるかも知れない。
しかし私は、生きている限り希望と理想を胸に、足掻けるだけ足掻いてやろうと思っている。

 

 


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