永島慎二に関する思索の断片

今どき「永島慎二」と聞いて ( ̄ー ̄)ニヤリ とするのは、私なんかより年長の、それこそ団塊の世代辺りではないのか?とは思う。
私が永島慎二のマンガに出会ったのは中学生の頃で、当時足繁く通った地元の古本屋であった。小5から松本零士先生のマンガを古本屋で買い漁っていたので、父の代から二代続けて通った古本屋も、今は昔の話となった。
私の人生を運命付ける太宰治の『人間失格』と出会ったのも古本屋で、カネは無いが本やマンガが読みたい中学生には、古本屋ほど有り難い存在はなかったものである。おかげで本やマンガ(それも松本零士ばかり)は売るほど私の本棚を占めているが、今回は永島慎二について思索した断片を書いてみようと思う。

永島慎二とは?

永島慎二松本零士先生の1コ上の昭和12年生まれで、破天荒なことに中学を中退して職を転々としながら、それでも好きなマンガ家になった人だ。代表作は『漫画家残酷物語』や、梶原一騎原作でテレビドラマにもなった『柔道一直線』だろうと思う。

この先生はともかく寡作な人で、商業出版に迎合せずに好きなマンガを描き、『柔道一直線』がバカ売れするや、途中で降板しちゃうような人でもあった。『永島慎二傑作集-漫画のお弁当箱-』(全4巻)を1974(昭和49)年に出版すると、ほぼリタイアしてしまったようだ。つまり、この『永島慎二傑作集-漫画のお弁当箱-』を遺作とし、その後は思い出したように作品を発表することがあったようだが、マンガ家として活動することを放棄してしまった。
中学生の私が何でこんな今では忘れ去られた(当時でもほぼ忘れられていた)マンガ家に共感したのかと言えば、『漫画家残酷物語』(サンコミックでは全3巻)に惹かれた、に尽きる。作品は連載ではなく、断片的に描かれたモノを単行本にしているので、作品によって絵柄が変わっていたりするが(中には当時流行った劇画タッチのモノもある)、マンガの主人公はマンガ家の卵か、または若いマンガ家か、名声を博して経済的に成功したマンガ家(この例は極端に少ないが)である。
ハッキリ言えば、『漫画家残酷物語』はハッピーなマンガではない。たいがいは理想と現実のギャップに苦しみ、それで人生を狂わせてしまうマンガ家ばかりが登場する。中学生の当時、こんな時代遅れで不景気なマンガに共感したのは、若さゆえの理想の高さと、それを受け入れてくれない現実との「人生の蹉跌」と言うべき悲喜劇(主に悲劇ばかりだが)に胸を打たれたからだ。それは、自分の人生を暗示するように思えたし、純粋に「好き」だけでそれを職業にする「危うさ」をダイレクトに物語っていたからだった。
1960年代から70年代のマンガ雑誌『COM』(虫プロ商事)や『ガロ』(青林堂)での永島慎二は、当時の若者から「青春マンガの教祖」のように支持されていたようだ。実際、『フーテン』や『青春裁判』等、傑作を遺している。私は松本零士のガチヲタ勢としてコレクターでもあるが、永島慎二のマンガに関してもほぼ全作品を持っているのでは?と思うぐらいには持っていて、全部読んでいる。

漫画家残酷物語

漫画家残酷物語

永島 慎二
発売日: 1993/12/01
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太宰治に影響を受けた稀有なマンガ家、永島慎二

スキャナでスキャンすると本が傷むので、私のコレクションで傷んでも大丈夫な小学館文庫版の『漫画家残酷物語』から画像を引用する。

コレは小学館文庫版『漫画家残酷物語』の1巻の第1話目「傷害保険」(初出は不明だが、サンコミック版『漫画家残酷物語』2巻第1話目に登場し、このサンコミック版は1967(昭和42)年が初版発行である)だが、いきなり太宰治の『人間失格』の内容を引いている。
人間失格』の内容を知らない読者は「なんのこと?」と疑問に思うかも知れないが、それとは関係なく物語は進む。この主人公の川上みつをは元々それほどマンガを描くことが好きではなかったし、質屋通いの貧乏マンガ家でもある。
たまたま、自室に突如現れた保険の勧誘員から美味しい傷害保険の勧誘に遭う。唯一の連載が切られることもあって傷害保険に加入し、「どうせ利き腕を失って傷害保険を貰うのなら」と、保険金が下りるまでの間、読者に媚びない独自の長編マンガを描き出し、徐々に「本当のマンガの素晴らしさ」と「マンガ家にとっての喜び」を知る。そうして新たなマンガ家としての第一歩を歩もうとした途端に交通事故で利き腕を失い、目出度く巨額の傷害保険金を受取ることになるのだが、最後にこのマンガ家は「左手でマンガを描く!」と言うのだ。
そこで冒頭の永島慎二の言葉が利いて来る。『現代児童漫画家は「トラ」どころかコメもコメ 大喜劇名詞ということになりはしないか!』になるのだ。

太宰治の影響を受けたとか、タマタマなんじゃね?と思う向きがあるかも知れないが、では、コレはどうだろう?「哀蚊」は太宰治の処女作品集『晩年』の最初に所収されている「葉」の中に登場する話だ。元々は独立した作品として書かれたモノだったようだが、太宰が「遺書のつもり」で書いた『晩年』にそのまま載せるには十分ではなかったものの、捨て切れずに「葉」という断片的な作品に挿入した話のひとつなのである。その文章を引用している所をみると、永島慎二太宰治に影響を受けたであろうことが分かる。
ちなみにこの「哀蚊」は小学館文庫版『漫画家残酷物語』の2巻の4話目に登場する。コレも初出はワカランが、サンコミック版の『漫画残酷物語』では収録されていない。
この画像にある売れっ子マンガ家の江尾柿太(えおかきた)が、一時代を築いたマンガ家・横川童太が自殺したことを知り、その過去を振り返る内容だ。売れても一時的なモノでしかないマンガ家を「哀蚊」に喩えた、当時の永島慎二の心情はいかばかりだったのか。
その他、『人間劇場』に登場する花売りの少女は、太宰治の『晩年』の「葉」に登場する少女そのままだったりする。

児童漫画とは何だったのか?

私の世代で児童漫画(?)と言えば、やはり『ドラえもん』を筆頭とした藤子不二雄作品だった。小学生の私は、実に600ページもあった『月刊コロコロコミック』が愛読書だったし、そのために私は『ゲームセンターあらし』を読んで道を踏み外し、今や立派(?)なSEとして変態まっしぐらな人生を歩んでいる。
それはともかく、マンガの神様・手塚治虫はちょっと別格にしても、学研の「科学」や「学習」を取るのがトレンドだった世代であるから、トキワ荘出身マンガ家であるよこたとくおなども馴染みがあった。アニメでも同じくトキワ荘出身の藤子不二雄の「ドラえもん」や「怪物くん」等、赤塚不二夫の「天才バカボン」「ひみつのアッコちゃん」、石ノ森章太郎の「サイボーグ009」、アニメではないが「仮面ライダー」や「秘密戦隊ゴレンジャー」をテレビで観た世代でもある。
トキワ荘出身ではないが、松本零士先生の『銀河鉄道999』のアニメ放映には熱狂したし、「宇宙戦艦ヤマト」も映画化されて空前のヒットとなった。1970年代から80年代は、日本のマンガ史やアニメ史に残る偉人ともいうべきマンガ家が活躍した、輝かしい時代だったと思う。

私が思うに、この『漫画家残酷物語』の中の「ラ・クンパルシータ」にあるように、永島慎二は「絵画と文学その両極致!その単純化こそ素晴らしい漫画なのだ」といった考えを持っていたのでは?と思う。ここに、永島慎二にとっての児童漫画の理想を端的に表現しているとみて良いだろう。
だが、私達世代が親しんだ、上述のマンガやアニメに文学的要素は無かったし、絵画的な美しさも無かった。恐らく、マンガと文学や絵画といった芸術的要素は相反するような世界であったように思う。もっと分かりやすく言えば、一部の早熟な人を除けば、小難しいことを理解して支持する児童や生徒はいないのが現実だったろう。そこに永島慎二の行き詰まりや限界があったように思う。
また、1960年代から70年代は全学連による学生運動が活発な時代であり、日本でもヒッピー文化が流入していた。映画「男はつらいよ」の渥美清演じる「フーテンの寅さん」は、1969(昭和44)年からシリーズ化されている。永島慎二は児童漫画から、「さまよえる魂」を持った日本版ヒッピーのフーテンに惹かれ、自らを追い込んで実際に新宿でフーテン族のような生活をするために、恋女房と幼い息子と別居して貧乏生活をしていたようだ。
そもそも「マンガは子供が読むモノ」といった、低俗扱いを長い間されて来た。手塚治虫はやはりちょっと別格だが、松本零士先生や石ノ森章太郎赤塚不二夫も若い頃は少女マンガを描いて糊口を凌いでいたのだった。永島慎二も僅かだが(元々寡作なので)、少女マンガを描いている。

この『サトコは町の子』の初出は1957(昭和32)年の『なかよし』という、月刊の少女マンガ雑誌だ。1964(昭和39)年に前述のマンガ雑誌『ガロ』が創刊され、1967(昭和42)年に『COM』が創刊される。当時の左翼学生が読んでいたのが『ガロ』で、マンガ少年が読んでいたのが『COM』だったようだ。それでも今のように大学生がマンガ雑誌を読むのは一般的ではなかっただろうし、今のように高卒の半数以上が大学その他に進学する時代でもなかった(ちなみに1970(昭和45)年の4年制大学への男女の進学率は17.1%)。
むしろ、団塊の世代ジュニアの我々世代が最もマンガを消費し、アニメで育った世代と言えるだろう。今や日本のマンガやアニメが「クール・ジャパン」と世界から称賛されているのだから、時代が変わったと言うか、皮肉なモノだと思う。
児童漫画を読んでいた児童が青年になって大人になり、その後もマンガやアニメの内容や表現方法が同様に成長して高度化したので、相変わらずマンガを読む大人が多いのだろう。私を含め、日本の一般的な大人がそれほど成長しているとは思えないが、マンガやアニメは今後も成長を続けるのだろう。
そりゃ、誰も文学なんか読まなくなるな。

商業出版の弊害と「嘔吐」

マンガ家で「おそ虫・おそ士」と呼ばれていたのは、手塚治虫松本零士先生だった。それだけ遅筆だったことを(それだけ丁寧な仕事をしていた証左でもあるが)出版社の編集員が嘆いていたのだが、特に手塚治虫は締め切り前に逃亡して行方をくらます有様で、松本零士先生の場合はそれで連載が飛んだり、締め切りに間に合わず原稿を落とす有様だった(ゆえに、松本零士先生の場合は尻切れトンボとなった作品が実に多い)。
永島慎二も丁寧な仕事をするマンガ家なので、やはり遅筆だったのだろう。月刊誌の連載1本をやるのがやっとで、やがてその雑誌連載にも見切りを付けて単行本の仕事をやるようになる。

この『漫画家残酷物語』に収録されている「嘔吐」という作品は、雑誌連載を止めて単行本の仕事をしていた主人公が、喫茶店でベートーヴェンの「運命」を聴きながら自作の単行本を読むや、嘔吐してしまうところから話がスタートする。
この若いマンガ家、秋葉秀一は以前から感じていた当て所のない怒りや憤りが、実は自分自身に対してのものだったことを知る。倒産しそうな弱小出版社で144枚描いた単行本で得られた金額と、その内容は嘔吐するだけの「怒り」や「憤り」だったのだろう。そこで単行本の仕事を止め、生活する自信がないので恋女房とも離婚し、牛乳配達や土方等をしながら3年かけて納得の行くマンガを描き上げたのだが、どこの出版社も相手にしない。
ビルの屋上で主人公の秋葉は人生に退屈を感じ、精魂込めた「命」でもある原稿をバラ撒き、身を投げてしまう。たまたま空から降ってくる原稿を見た出版社の一人が原稿の価値を認め、急いで社員に原稿を拾うように命じて出版に漕ぎ着けるが、これが驚くほどの反響と出版部数を記録する。
死にきれなかった秋葉は片足を切断されたホームレスになっていたが、雪の降るクリスマスの夜、ビルの屋上からバラ撒いた作品が本になっており、それを手にした少女と母親を目撃して追い縋ろうとするが、途中で倒れて血を吐き、(恐らく)そのまま絶命してしまう。
最後のページには『宝島』で知られるスティーヴンソンのエッセイ『若い人々のために』の一文が添えられているが、商業出版により描きたいマンガが描けず、また理解もしない出版社や編集者への痛烈な批判と、それでも時流に乗って売れさえすれば良いとする同業者への批判、そして作者である自分自身への怒りと憤りを感じさせる作品だ。
仕事だから」と割り切ってやるには、仕事そのものへの愛がある分だけ、苦しい葛藤や悩みがある。本来、自分の好きなことを本職としない方が良いのかも知れない。その分、悩む必要はないのだから。しかし、本職のプロでやらなければ、会得したり到達するスキルや経験、その高みが得られないのも事実ではある。
結局、アリストテレスが教える「中庸」であるべきなのか。個人的に、そんな人生は楽しくないと思うのだが。

おわりに

実はニーチェに関する本を読んでいて、サルトルの『嘔吐』を思い出し、それで永島慎二の『漫画家残酷物語』その他一連の作品を想起したに他ならない。
サルトル実存主義である自身の哲学を説明するために『嘔吐』を執筆したようだが、主人公が絶望した研究者であり、実存するあらゆる物から吐き気を催すのは、永島慎二の「嘔吐」と通じるモノがあると思う。自分自身に対する怒りや憤りは、それが嫌悪感となっている点で、嘔吐という生理現象を引き起こしているからだ。その意味や理由を知りたいといった願望にも、共通点があると言えるだろう。
最後に永島慎二の「嘔吐」と商業出版に関する弊害について書いてみたが、近年では出版社が運営している無料のマンガサイトがあったり、アマゾンで0円マンガ(電子書籍)があったりする。昨今のコミケは凄まじい参加者の動員があり、たびたび問題が発生しているようでもある。それだけ、成功したマンガ家が果てしもない出版部数を記録し、有名になると共に巨万の富を築いているからでもあるだろう。そこに出版社や、世界の小売業アマゾンの欲望も、透けて見えるようだ。
永島慎二は最後まで商業出版に抗ったマンガ家だと思うが、同時代のマンガ家の多くが挫折し、筆を折って引退を余儀なくされたのも事実ではある。例えば寺田ヒロオは、元々電電公社で電報を配達する仕事をしていたがマンガ家への道を諦めきれず、上京してトキワ荘の住人となってマンガ家となった人だった。今では中野の「まんだらけ」のショーケースに収まっているようなマンガを描いたものの、商業出版の要請と無理解に業を煮やして自ら筆を折ったマンガ家でもある。昭和30~40年代と現在とでは、あまりに時代が違い過ぎるが、寺田ヒロオのようなマンガ家が絶えず現れては消えたのだろうと思う。
自分の好きな仕事を本職とし、続けて行けば、やがてその自身の仕事に嘔吐せねばならないのか。だとすれば、これほど因果で救われないこともないだろう。仕事への愛が深いほど、それは自身が救われない方向へ向かうのだとしたら、その先に待っているのは絶望でしかないな。
それを実感するほどに、私は馬齢を重ねたのだと言える。

 

 

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