阪神・淡路大震災の頃の思い出~大震災から四半世紀の区切りに寄せて

1995(平成07)年01月17日の今日、早朝に兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源とした「阪神・淡路大震災」が発生した。
あれから四半世紀も経つのか、と思うと時の流れは無常だなと思わずにはいられない。
私は生まれも育ちも関東で、当時も自宅にいたから震災に遭っていないし、関西方面には親戚や友人・知人もいないので、震災そのものについて何ら語るべきモノはない
ここは私らしく、パソコンを主軸に当時の世相と思い出を語ってみようと思う。記憶を風化させない一助になるやも知れぬ。

Windows3.1が流行していた1994年

阪神・淡路大震災が発生する前年の1994(平成06)年には、日本でもWindows3.1が流行しており、1992(平成04)年のコンパック・ショック以来、DOS/Vを搭載したPC/AT互換機がシェアを拡大していた。
それまではNECのPC-9801帝国であったが、そのPC-98シリーズ(PC-9801および後のPC-9821)も新製品が出るとすぐ値崩れをしている状態で、私などはPC-9801DAを買いに秋葉原に行ったらPC-9801DAはどこにも在庫がなく、まだ雑誌にも発表が出ていない後継機で新発売になったばかり(?)のPC-9801FAが店頭に積まれていた。
PC-9801FAは1992(平成04)年1月の発売ということになっているが、それよりも前に購入した記憶がある。購入してからしばらくして年が明けて、新年号ではない次の号かその次の号のASAHIパソコン誌で「新発売」を知ったからだ(『ASAHIパソコン』も創刊号ぐらいから全部持っていたのだが、引っ越しの時に愚弟にキレられて泣く泣く廃棄した)。

PC-9801FAのメーカー希望小売価格(いつしか「定価」がこう改められた)はフロッピーディスクモデルで458,000円だが、秋葉原の店舗では早くも30万円台に値崩れしており、私は確か28万円で購入したと記憶している。無論、秋葉原で最安値の店を探し回り、現金一括で値切り交渉をしての結果だ。当時の消費税は3%だったが、消費税分もキッチリ値切ったハズである。
それはともかく、MS-DOSもVer3.3からVer5.0(それぞれマイナーバージョンはいくつかある)を経てWindows3.1が流行しており、私もPC-9801版のWindows3.1を入手してインストールして使っていた(Windows3.0も持っていてインストールしたが、3日で消した)。使えるプログラミング言語はMS-DOSのMS-C Ver7.0か、Windows3.1Visual Basic Ver2.0しかない状態だった。それ以外だとMS-Access Ver1.1があってSQLBASICでコードが書けた程度で、遅れてボーランド(当時)がVisual dBASEや、Delphi Ver1.0(DelphiWindows3.1対応で発売は1995年)を発売したぐらいだった(厳密には、ボーランドTurbo Pascal for Windowsを出していたがWindows3.0のみの対応で、Windows3.1には対応していなかった)。

当時のWindows3.1がどんな画面だったかは、図(Visual dBASEの画面)を確認してもらえれば良いが、わざと小さい画像を出しているのではない。当時はVGA(640✕480ドット)がノートパソコンの標準の解像度で、デスクトップパソコンでも最高がXGA(1024✕768ドット)程度だったのだ。
私もNECから出たばかりのクソ重たくてクソ高いマルチシンクモニタ(15インチ)を15万円ぐらいで購入し、メモリもフルに積んだ。

図のパッケージは8MB搭載だが、さらに2MBのSIMMを2枚買って4MBを増設し、本体の1.6MB(PC/AT互換機的に表現すると本体は2MB)と合計すると14MBだった。メモリは徐々に安くはなっていたが、それでも当時10万円近くは散財したハズだ。
ハードディスクも当初100MB(当時10万円ぐらいした)で良かったのが、Windows3.1を入れるので240MBに買い替え、240MBをさらに買い足していた。
それでもノーマルのPC-9801FAではWindows3.1重すぎた。すでにPC-9801FA追加で30万円以上突っ込んでいるので、今さら安いPC/AT互換機や、安くなったPC-9821シリーズに乗り換えるワケにも行かない

そこで、図の「4倍速モジュール」のゲタを履かせ、ノーマルの80486SXから80486DX2にしてしまう、というアイデアだ。ノーマルはクロックが16MHzなので、4倍速で理論上64MHzにしてしまう改造である。改造と言ってもソケットに挿すだけだし、ベースクロック(オシレーター)を変更しなければ劇的にスピードが上がるモンではないのだが。

当時、よほど「清水の舞台から背面跳びする」ぐらいの気合があったのか?購入したときの領収書が残っている。これは「4倍速モジュール」と80486DX2の購入金額で、合計金額がピッタリなのは、相当値切ったからに他ならない。
当時のネットはパソコン通信で、「いかにMS-DOSの空きメモリを作るか」がホットな話題だったし、「いかに少しでもWindows3.1をサクサク動かせるか」に命をかけていたような感じだった。
ところが、やはりグラフィック周りがノーマルだと、どうしてもWindows3.1重い。大枚はたいたマルチシンクモニタも活かしきれないので、6月にはグラフィックボードを購入しようと決意していた。

購入したのは図の、当時PC-9801シリーズでは最速かつ最高級だったカノープスのPower Window 928Ⅱだ。

これも領収書が残っていたので記念にアップするが、このお店は値切り交渉に応じてくれなかった記憶がある。メーカー希望小売価格が75,000円で、24%引きの57,000円が「精一杯の金額で、これ以上は負けられない」の一点張りだった。消費税も負けてくれなかったな。
当時の秋葉原にはまだメイドはおらず、アイドルがタマにイベントをやっていた程度で、純粋な電気街だった。そしていざ買い物をする段になると、専門店やジャンク屋を周りながら値切り交渉をする楽しみがあった。毎回お店の店員との真剣勝負で、いかに専門知識と業界動向を知っているか、目当ての商品の実売価格をどの程度熟知しているか、で勝負が決まる。値切り交渉はテクニックは当然必要だが、度胸とハッタリも必要だ。とは言え、ムチャな値切りは出来ない。ゆえに、秋葉原の端から端まで「足で情報を稼ぐ」必要もあった。それもまた面白く、秋葉原に行く楽しみでもあった。
よくよく考えてみれば、1994(平成06)年はマッキントッシュ(マック)LC575を買ってインターネットをやり始めていたし、このLC575ありとあらゆる手を入れ、相当な金額を注ぎ込んで改造していたから、パソコンと酒には湯水のようにカネを使ってたな。

未曾有の震災と未曾有のテロ事件が発生した1995年

前年からテレビその他で話題になっていたのがオウム真理教で、秋葉原にも「マハーポーシャ」という名のパソコンショップや、前後してそれに関係するショップが何店舗かあった。この「マハーポーシャ」のPC/AT互換機怪しいほどに安くて高性能だと一部では評判だったが、実店舗がこれまた怪しすぎる。白い道着のようなものを着た店員で、何かをブツブツ言いながら客の相手もロクにしないか、不自然なほどハイテンションな店員が頼みもしないのに寄ってくる。なにより店内でお香を焚いていたり、聞き馴染みのない変なBGMがかかっていた。

それもそのハズ、この「マハーポーシャ」はオウム真理教が展開していた店舗で、店員は出家信者か何かのようで、「信者にタダ働きさせてるからあんなに安いんじゃね?」ともっぱらのウワサであった。
また当時、私はフリーランスで仕事をしており、亀戸の某企業でとある業務パッケージシステムの設計と開発をやっていた。

JR亀戸駅の線路下に図のラーメン店「うまかろう安かろう亭」がオープンしたのは、やはり前年の1994(平成06)年頃だったと思うが、これもオウム真理教が展開していた店舗だった。だから私も含め一般人は寄り付かなかったようだが、事情を知らない人が入っていたような感じだった。

そんなこんなで、年が明けて正月気分も消えた17日早朝、阪神・淡路大震災が発生した。関東にいる私は連日のテレビ報道でその災害を知るのみであったが、派手に横倒しになった阪神高速、燃え盛る火事。高速の橋桁が落ちて、あわやバスが転落か?といった映像や、倒壊した建物と火事、そしてガレキの山で壊滅的な街の映像に驚いた。
正直に言えば、震災の惨状を見ても、私には何もどうにもならなかった。具体的に親族・友人・知己が被災しているワケでもなく、ボランティアに行くには遠く、そして仕事で自由になる時間は限られていた。
思えば、この未曾有の震災が日本人を連帯・団結させ、日本には根付いていなかったボランティア精神を鼓舞したのかも知れない。

阪神・淡路大震災で現地が混乱している中、3月20日の午前8時過ぎ、営団地下鉄の日比谷線と丸ノ内線の15の駅でオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が発生した。
当日私は私鉄とJRを使っていつも通り亀戸に出勤しており、9時過ぎに事務所で「出勤できない社員が相当いる」と聞いた。私を含め社内にいる人間はテレビの報道は知らないから、「人身事故にしては変だな」程度の認識だった。
昼休みに近くのそば屋へ同僚とメシを食べに行くと、店内のテレビがなんやらワメいている。そこで初めて「地下鉄でサリンが撒かれた」ことを知ったのだった。とは言え、その時は「サリンって何?ウマイの?」レベルで知らなかったため、事件の全貌は帰宅してからテレビの報道特集等で知ったのだが。

再びパソコンの話に戻すが、11月23日深夜0時にWindows95が発売となった。秋葉原のLAOX THE COMPUTER館等ではイベントのようになり、発売を待つ人が行列をなした。
私個人はWindows95に期待はしていたが、同時に開発している業務パッケージがWindows3.1の16ビットOSであり、Windows95は32ビットOSであるから、Windows95対応を考えると「軽く死ねる」心境だった。
まず間違いなくWindows95は日本でも大ヒットするし、各メーカーからWindows95搭載パソコンがここぞとばかりに売り出され、Windows95は津波のように席巻するだろう。そうなるとWindows95対応は絶対に至上命令となる
仕事は死ぬほどやればいいからちょっと置くとして(実際に死にそうだったが)、私が前年に買ったカノープスのグラフィックボードはどうなるか?である。ハードウェアはソフトウェアが無ければ動かない。つまり、Windows3.1のデバイスドライバではWindows95カノープスのグラフィックボードは動かないのだ。
ともあれ、年明けから年末まで、大小様々な事件が発生した、騒がしい一年であった。

阪神・淡路大震災の思わぬ余波があった1996年

翌年の1996(平成08)年、私もWindows95を入手してPC-9801FAにインストールしたし、使うことになる。カノープスのグラフィックボードは、購入する際に翌年Windows95の発売が予定されていたこともあり、FD送付サービスを申し込んでいた。
本来なら前年にWindows95用のドライバが届き、Windows95の発売と同時に使えるハズであった。ところが当時のカノープス本社は神戸市西区で、震災があったから私も心配になって何度かカノープス社に電話したことがあった。やっと電話がつながったのが何度目で、いつだったかは忘れたが、電話に出た方が「震災自体はそんなに影響がなくて大丈夫だが、Windows95用のドライバの発送は遅くなる」とのことだった。インフラがズタズタになっており、年内の発送は無理だろうとのこと。それに同社を心配した日本各地のユーザから電話の問い合せを多くいただいている、とも言っていた。

結果として、Windows95用のドライバが届いたのは2月6日で、すぐさまカノープス社に電話して感謝の気持ちを伝えた。個人的には阪神・淡路大震災で関西方面の物流が混乱し、思わぬ余波としてWindows95の導入が遅れてしまったのだが、ドライバが届いたことでカノープスを含む震災に遭った企業が立ち直りつつあると、肌で感じたことを覚えている

で、PC-9801FAWindows95をインストールして色々と使ってみると、やはり「サクサク快適」には動作しない。
Windows3.1ユーザがWindows95へ移行する流れもあり、チップメーカーのインテルサイリックスAMDといった各社からODP(オーバードライブプロセッサ)が多数販売された。
個人的にはすでにABM社(今でもあるんかな?)の「4倍速モジュール」ゲタと80486DX2を購入して4倍速にしていたから、ODP自体には関心が薄かった。

そんな折、私のようにPC-9801FAに大金を突っ込んで後戻り出来ないユーザがいるのを見越してか、図の通りメルコからPC-9801FA専用の「ハイパーメモリCPU EUF-EP」なる「CPU8倍速+メモリ2倍速」という狂気の製品が出た。価格も98,000円とブッ飛んだモノで、この製品に別売のノートパソコン用メモリを最大64MBまで載せられるというシロモノだ。

パッケージの裏面は図のようになっており、こんな製品が発売され、しかも買ったヤツがいたことに今の若い人は驚くかも知れない。正確な発売日をネットで調べても分からないし、コレについては領収書が残っていないので、いつ・どこで・いくらで購入したのかが判然としない。
久しぶりにこの製品のハードウェアマニュアルを確認すると、「1996年10月9日 初版発行」とあるから、1996(平成08)年の10月か11月に発売になっていたかも知れない。購入はそれ以降か翌年かだとは思うが、恐らく秋葉原で税込8万円程度で購入したのではないだろうか。
蛇足ながら、コレもフルに64MBのメモリを積み、本体と増設分でメモリを78MBにした。それ以外にも、高速RS-232Cボードやビデオオーバーレイボード、10BASE-Tイーサネットボード、お約束のSMIT SCSIボードにサウンドブラスター16等、サブボードを組み合わせてPC-9801標準のCバスは全部埋まったし、最終的にビデオボードはカノープス(メモリ2MB)からより高速なメルコ(メモリ4MB)に変えていた。

以前運営していたブログで、PC-9801FA押し入れに完全封印した際の記事画像が出てきたので図の通り掲載するが、当時のデジカメ画像はちっこいな。
このPC-9801FAに、SCSI接続でHDDドライブ(最終的には3.2GB)にCD-ROMドライブ、CD-RWドライブ、MOドライブ(230MB)を接続し、15インチマルチシンクモニタに3モード3.5インチFDDドライブ2機、56Kモデム、15インチドットプリンタにA4レーザープリンタ(両方ともNEC)にアイワ製パソコン用ステレオスピーカーとTVチューナーまでをも接続。その上、10BASE-Tイーサネットで家庭内LANを構築し、マックLC575とも接続(PC MacLANを利用)していた。
一体パソコンだけでいくら注ぎ込んだのか、当時は怖くて大酒を呑んでその都度忘れたが(笑)、個人的には「PC-9801SuperFA改DX-TV」(マックは「LC575改GreatTV」)と言い張っていた。友人からは「ゼロ戦にジェットエンジン載っけてF4ファントムとタイマン張るようなモンだ」とか、「まだFA捨てないの?」と定期的に言われていた。
画像ファイルのタイムスタンプから想像するに、2004年の12月までは現役(?)で使っていたようだ。その昔、駆け出しのフリーランスの頃に受注して納品した、某百貨店向けのバーコードタグ受注システムがいつまでも稼働しており、数年に1度の頻度でシステムの修正(レーザープリンタで出力する版下のデザイン変更)があったから、捨てるどころか稼働させておく必要があった。システム自体がPC-9801BXMS-DOSというのもあるが、レーザープリンタで出力する版下のコードがNECのページプリンタ言語のNPDLなので、私以外に誰もメンテナンスが出来ないという理由もあった。
それとは別で、実は1999(平成11)年に大学に入学するや、レッツノートを買ってメインパソコンとして愛用していたのだが。

おわりに

本当はnoteにでも軽く書いて終わりにしようと思って原稿を書き出したのだが、アレもコレも、書くならちゃんと正確に、と思って書いてたら長くなってしまった。原稿自体はとっくに終わっていたが、押入れを発掘して画像をスキャンしたり、古い画像を漁ったりしていたら、とんでもなく時間がかかった。その上、アイキャッチ画像を作ったり、記事としてSEO的に最低限のことはしなければならない。
ともあれ1995(平成07)年は、バブル景気が崩壊してから景気が回復せずに経済的に停滞していたし、阪神・淡路大震災が発生したり、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生したりと、世相としては暗いものがあった
そんな中、Windows3.1の流行とWindows95の発売と世界的なヒットにより、IT業界では脱オフコン化とダウンサイジング化に拍車がかかり、パソコンでのシステム開発需要が急伸した分水嶺の年でもあった。実際、Windows95によってパソコン需要はうなぎ登りだったし、Windows95は一般人がインターネットに接続する、エポックメイキング的なOSの役割を果たした。
当時マイクロソフト社のCEOだったビル・ゲイツが「近い将来、主婦が指先で情報を操れるようになる」みたいなことを何かのインタビューで発言しており、『闘うプログラマー』を貪るように読んでいた私は、鼻で笑っていた。
ところが後のスマートフォンの登場で、ITの世界は一変してしまった。正にビル・ゲイツが予測した通りの時代に突入したのである。ビル・ゲイツはとっくにマイクロソフトのCEOから退いているが、Windows PhoneがスマホOSの覇権争いにさえならず、相当悔しい思いをしたことだろう。
ネット時代を切り拓いたWindows95を開発して世界中で販売したマイクロソフト自身が、ネット時代に乗り遅れる事態になるとは(当のマイクロソフトも思ってもみなかったろうとは思うが)なんたる皮肉だろうか。
あれから25年。四半世紀が経つが、本稿が当時を思い出すヨスガになれば幸いだ。当時を知らない若い世代は、新鮮な驚きがあることだろう。

 

 

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