【追悼・田中邦衛】トラック野郎と超高度経済成長期の日本

俳優の田中邦衛さんが亡くなったことを知り、とっさに「ボルサリーノが亡くなった」と思った。
多くの人は田中邦衛と聞けば「北の国から」を想起すると思うが、私の場合は「北の国から」をほぼ観ていないので、小学生の頃に大好きだった映画『トラック野郎』の第2作目『爆走一番星』のボルサリーノ2の役がまっ先に思い浮かぶのだ。

私は全然興味がないが、以前マンガ『ONE PIECE』のアニメをたまたまテレビで見た時に、明らかに田中邦衛さんをモデルにした、海軍本部の大将「黄猿」が出ているので驚いたことがある。
しかも名前が「ボルサリーノ」であるから、『爆走一番星』のボルサリーノ2がモデルであることは明白だろう。

ONE PIECE』の作者、尾田栄一郎氏は私よりいくつか若い年齢だから、小学生の頃に『トラック野郎』の映画を観ていたのではないか、と思う。
1970年代後半から1980年代前半の昭和50年代は、お正月映画と言えば(テレビでの再放送を含め)『トラック野郎』が定番だったような気がする。
今になって考えてみると、当時は超高度経済成長期の終わり頃で、高速鉄道として新幹線が開業(東海道新幹線は1964(昭和39)年に開業し、1982(昭和57)年までには山陽・東北・上越新幹線が開業している)、日本全国に高速道路網が敷かれていた。
田中角栄が『日本列島改造論』を出版し、政策綱領として総理大臣になったのは1972(昭和47)年であり、土地の投機ブームと物価上昇のインフレを招いたが、オイルショックを経ても景気は右肩上がりで好景気が続くことになる。
そんな時代に公開されたのが映画『トラック野郎 爆走一番星』(1975(昭和50)年12月27日公開)であった。

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ヒロインの高見沢瑛子(あべ静江)が太宰治ファンだという設定はアレだが、当時の太宰治とその文学はこのような理解だったという、その証左ではある。
映画自体は「これでもか!」とばかりに、恋愛(星桃次郎の一目惚れと失恋)・暴力(大立ち回りのケンカ)・カーアクション(パトカーを蹴散らしたり、ライバルトラックとのワッパ勝負等)それにエロと人情とをごった煮にしたような、とても下品な映画である。
下品ゆえに面白く、楽しいのだ。
白ナンバーの大型トラックがフリーランスで荷物を日本各地に長距離移動して運んで稼ぐ、というのは「やっぱ昭和じゃのう」と思うが、時代背景として「長距離大型トラックドライバーは儲かる」といった、動かしがたい事実があった。

18ン時だ。
オヤジが死んで病気のオフクロ抱えてよ。
全財産の畑売ってトラック買った。
東北の山奥のちっぽけな畑だ、ロクなカネにもなりゃしねえ。
残りは借金よッ!
貧乏で、どうしても違反しなきゃ食って行けねぇ。
そんな時コイツは俺を目のカタキにしてイジメやがった!
泥ん中に手を突っ込んでなんべんも「見逃してくれ」って頼む俺にテメェ、なんつった?
「市民の安全を考えろ、この雲助!」 とな。

・・・市民か。
ほうッ! 市民なんているか?
この日本のどこに市民がいる?!
ふざけんじゃねえ!
金持ちと貧乏人の2通りじゃねえか!!

かつてのジョナサンこと松下金造(愛川欽也)は、「花巻の鬼代官」と怖れられた警察官だったのだ。

ある日コイツにスピードで追いかけられた。
恐ろしかった。
オフクロの病院代も溜まって夢中で逃げたよ。
・・・挙句の果てに崖に衝突。トラックは滅茶苦茶。
借金だけが後に残った。
オフクロは病院を追い出されて死んだァッ!!

一番星こと星桃次郎(菅原文太)が割って入り、ジョナサンの腹にボディブローを一発キメ、一番星とボルサリーノ2とで命がけの「ワッパ勝負」(トラックでのレース)となる。
が、後で正気を取り戻したジョナサンが駆けつけ、

俺も東北の山奥に生まれてよ、貧乏だったから警察に入ったんダベ。
生きるのに一生懸命だったんダベ。
だから俺が勝負する、俺に勝負させろ!

ジョナサンの話を聞いたボルサリーノ2は「一番星、お前がリードしてたな。俺の負けだ」と立ち去り、以後、一番星やジョナサンの前に姿を現すことはなかった。
・・・が、映画の終盤、岡山で小野姉弟の父親・松吉と遭遇した一番星は、「金がないので帰れない」と当たり屋をしていた松吉を乗せ、大晦日の0時までに間に合わせようと長崎に向かうが、途中で白バイとパトカーに次々と追われてしまう。
一番星が無線でトラック野郎に応援を頼むと、即座に無線に応答し、パトカーを蹴散らして援護したのはボルサリーノ2だった!

突然だが、私は40も半ば過ぎるまで、演歌の良さがちっともサッパリ分からなかった。
じゃあ今は分かるんか?と聞かれると「良さは分かるようになった」としか言えないが。
そもそも田中角栄の『日本列島改造論』は、都市部の過密化と地方の過疎化の問題を指摘し、交通網の整備でそれらの諸問題を解決するという発想であった(新潟県人の田中角栄らしく、東北人は出稼ぎ労働をしなくても良いという発想でもある)。
交通網の整備により、大都市が持つ資本・技術・人材・娯楽が地方にも浸透しやすくなった反面、吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」のように、地方から資本・技術・人材・娯楽が大都市に流入するストロー効果になってしまったのは否めない。

昭和の超高度経済成長期に鉄道や道路、橋等の土木工事や、東京タワーやビルといった建築工事を担ったのは、地方の季節労働者(出稼ぎ労働者)だった。
彼らは建築現場の飯場で寝泊まりするか、東京であれば台東区にある山谷のドヤ街や、関西であれば大阪西成にある西成のドヤ街(安価な木賃宿が多く「宿」を逆さ言葉にした「ドヤ」が「ドヤ街」の語源)が定宿であったようだ。
ボルサリーノ2が嫌った「浪花節」ではないが、地方から知人もいない都会に出稼ぎに来て、一日中キツイ肉体労働して得たお金を田舎に残した家族に送金するというのは、当事者にしてみれば演歌のテーマで頻出する、酒・涙・女・雨・歓楽街・北国・雪・別れ、にピッタリ来るのだろうと思う。
私は世代ではないが、元々フォークソングが好きなのでフォークの神様・岡林信康の「山谷ブルース」を知っている。が、あえて吉幾三版を紹介する。

ジョナサンやボルサリーノ2は東北の山奥出身の貧乏人だった。
ヒロインまでが青森出身の太宰治ファンという設定はアレだが(2回目)、東北の人が農閑期に東京へ出稼ぎに出るというのは、当時では普通のことだった。
いわゆる「日雇い人夫」的な仕事ではあるが、現在でも正社員になれず、派遣社員やアルバイトで食いつなぐ人は多い
それに政治的な保守派というのは、往々にして地元の名士であったり、裕福な家庭の子弟であることが多い。
ゆえに、昭和初期から「昭和維新」がスローガン化され、二・二六事件によって玉砕したものの、腐敗した政党や重臣(元老)、政商の財閥を排除し、疲弊している地方の農民や庶民を救済しようという志が日本人の中にあった。
戦後は共産党が台頭して急速に左傾化が進み、吉田茂以降の日本の保守本流政治が「軽武装・経済優先」主義となり、超高度経済成長期に様々な社会のイビツさが表面化したと言える(ちなみに、全国いのちの電話は1971(昭和46)年10月に活動を開始していたりする)。
そして全学連は派閥によって分裂しながらも共産主義と共産革命を標榜し、日本中の大学は学生運動で正に火の手が上がったのである。
そんな学生運動が下火になった頃、映画『トラック野郎 爆走一番星』が公開された。日本人が「総中流」階層になり始めの頃だと思うと、非常に感慨深い
現在はと言えば、当時よりも東京一極集中と地方の過疎化が深刻なレベルで進み、この30年間ほぼ経済成長しないまま、貧富の差は開く一方だ。だから、一定数左派がいるのは仕方がないとも言える。

田中邦衛さん=ボルサリーノが亡くなった。
カッコイイ男(=日本人)がどんどん居なくなってしまう。そして、カッコイイ男(日本人)はもう出てこないのか?と、昨今のジェンダーフリー論争を見ていてタメ息しか出ない。

そんな一日だった。(´ー`)y-~~oO

 

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