安倍晋三元首相殺害と参議院選挙の違和感

最初に断っておかなければならないのは、私は安倍晋三元首相(以下、「安倍」と敬称略)は、日本の政治家にしては珍しく外交に秀でて世界に対して日本のプレゼンスを示した、リーダーシップのある有能な政治家だとは思うが、第二次安倍政権で実施された経済を含む政策に関しては、それほど評価はしていない
というより、戦後日本の政治家は一部を除くと無能ばかりで、てんでお話にならないレベルだから、本来日本の政治家としてあるべき普通レベルの安倍が、近年マレに見る政治家として国内外で評価されているに過ぎないと思っている。
ゆえに、7月8日の昼のテレビの報道で襲撃されたというニュースを知った時は、「とうとう襲撃するヤツが現れたか」ぐらいにしか思わなかった。折しも参議院選挙期間中であり、政治家に対するテロを実行するなら、これほど良いタイミングはないからだ。
と同時に、私は次の三島由紀夫の言葉を思い出していた。

三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン」(『文化防衛論』所収・ちくま文庫・2006(平成18)年11月08日 第1刷発行)

 結論を先にいってしまうと、私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い。暗殺のほうは少ないから、シーザーの昔から、殺されたのは一人で、六十万人が一人に暗殺されたなんて話は聞いたことがない。これは虐殺であります。
 どうして暗殺だけがこんなにいじめられるのか。私は、暗殺の中にも悪い暗殺といい暗殺があるし、それについての有効性というものもないではないという考え方をする。たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける。
(中略)
 人間というものは刀をつきつけられると、よし、おれは死んでもいってやるのだ、「板垣死すとも自由は死せず」という文句が残る。しかし口だけでいくらいっていても、別に血が出るわけでもない、痛くもないから、お互いに遠吠えする。民主主義の中には偽善というものがいつもひたひたと地下水のように身をひそめている。その偽善のいちばん甚だしいのは日本であります。

出典:三島由紀夫「国家革新の原理――学生とのティーチ・イン」(『文化防衛論』所収・ちくま文庫・2006(平成18)年11月08日 第1刷発行)

恐らくSNSでは安倍銃撃事件の話題で持ち切りになるだろうと思い、昼過ぎにツイートをしたまま仕事を続けたが、まさか夕方になって安倍の訃報に接するとは思わなかった。
それもたまたまメールをチェックしたら、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(通称:救う会全国協議会)のメルマガが着信しており、その声明を読んだ。
私個人は救う会を含む、北朝鮮による日本人拉致事件関係からはとっくに一切の手を引き、今後もノータッチではあるものの、当該事件を許さず解決したい気持ちに変わりはないが、その活動にとって安倍が果たした役割を思うと、やり切れない気持ちになったのは事実だ。

どうせSNSでは安倍暗殺のニュースと、その冥福を祈ったり、生前の業績を称える投稿で埋め尽くされるだろうことは想像出来たので、SNSは見る気もしなかったから、上記救う会全国協議会の声明についてツイートしただけでヤメた。
私が感じた安倍の急逝と参議院選挙の違和感は、与党自民党のトップや、いわゆる「アベ政治を許さない」「あべしね」等とSNSや街頭デモ、国会で叫んでいた反日のイカレた連中までもが「卑劣な蛮行は許せるものではない」「民主主義への挑戦だ」「暴力には屈しない」等々、異口同音に空疎なコメントをテレビでほざいていたことに端を発する。
それがそのまま翌9日の参議院選挙まで繰り返され、10日の投開票日を迎えた。
法治国家で民主主義が政治の根本にある日本において、どんな理由であれテロリズムは許されないし、政治がテロによる暴力に屈してはイケナイのは大前提であるが、その当たり前の事を政治家が、しかも参議院選挙中に有権者に向かって言う意味があるのか?
しかも、テレビ各局のアナウンサーや出演したコメンテーター等はバカ丸出しでそれをオウム返しのように繰り返してクダラナイ自説を開陳していたが、こんな報道は本当に必要か?
また、候補者や応援演説に駆けつける政治家の要人警護について、奈良県警や警視庁の警護が甘いと指摘する向きは多いが、現実にこうした結果が出ているのだから、警護が甘いだの悪いだのではなく、一人の政治家の生命を守れなかったのだから、問答無用にダメに決まっているだろう。
・・・いや、だから、おまいら一体、何を言ってるの?脳死してんのか??
また、新潟県知事を経て衆議院議員をしている、あべしね系の鮮やかな詭弁には、驚くというよりこんな人間に弁護士資格を与えることになった(しかも医師免許まで持っている)、歪んだ日本の教育の成れの果てに愕然とした。

医師免許を取得し、弁護士資格を持つというのは並大抵のことではないが、しかし、ペーパーテストが優秀で得点が可能だと、こういう人が誕生する。
それにしても、政治を本職にするとここまで劣化するのかと、驚くとともに呆れ果ててしまった。
少なくとも六法全書を解釈し、検察の取り調べに真っ向から対立して被告を法的に弁護する弁護士が使う日本語とは、到底思えない。
また、安倍を襲撃した容疑者に思想的な背景がなく、安倍の政治思想とその活動が犯行動機ではなく、特定宗教法人に関わっていることを襲撃理由に挙げているようだが、ネットでは安倍や自民党が統一教会とつながっていることは何年も前から指摘されていることだ。
それなのに、警察やマスコミは誰の利益を守ろうとして報道を伏せるのだろう?
例えば安倍と自民党が統一教会とズブズブなのが事実かどうか、私は今まで検証したことはないし、そんな気も起こらないから放置しているが、容疑者が述べている特定宗教法人の記者会見を見ても、何一つ要領を得ない。
ともあれ、参議院選挙の最終日や投票日に、暗に安倍=自民党=統一教会としてSNSでツイートし、自民党のネガティブキャンペーンをするようなことや、安倍政権時にリアルやネットで「あべしね」等と政治家を誹謗中傷することが民主主義なんだろうか?
それと、これは本サイトで公開するつもりはなかったが、YouTubeは当然にしても、ニコ動でも秒殺で削除されるらしいので、本サイトで公開する(行けば分かるさ(@UWhBT2m3frFS1GD)氏のツイートより引用)

この短い動画を見ても分かる通り、背後からの1発目の発砲に気付いた安倍が後方を振り返った際に2発目を食らったため、頸部と胸部に弾丸を浴びることになったようだ。
この銃撃に関して、複数犯の犯行で、ビルの屋上から狙撃した犯人がいるかのようなツイートをしている人もいるが、上記動画を見る分には、その可能性はないだろう。
ともあれ、手製の銃であれ銃撃に遭って凶弾に斃れたのには間違いなく、それを以て「民主主義への挑戦」は論点がズレている。
これは私個人の考えだが、民主主義は徹底した義務教育の充実が根本にあると考える。
教育は民主主義の入場料だ」と言ったのは、アメリカの自動車業界で辣腕を振るった稀代の名経営者、リー・アイアコッカだ。

リー・アイアコッカ『アイアコッカ――わが闘魂の経営』

アイアコッカは、砥石に額をこすりつけるように刻苦勉励する労働者こそが、その働きに応じて適切な報酬を得、それに感謝する愛国心が社会を良くする(=国家に奉仕する)、そういった市民が民主主義を体現するのだと考えていたようだ。
20世紀までの価値観としても正しいと私は思うし、こういった考え方は、いかにもヨーロッパ移民で形成されたアメリカの建国に依るところ大であるが、アイアコッカは、20世紀初頭の悪どい資本家や企業家によってなされた労働者を不当に搾取するような経営は、少なくとも世界規模で自動車を製造・販売するフォードや、その後移籍して再建したクライスラーでは通用しないことを身を以て知っていた。
なぜなら、1970年代に日本のトヨタや日産、ホンダが北米市場に台頭して脅威になりつつあったからだ。
だからこそ、1980年代にアイアコッカは米政府に対して日本との「フェアトレード」を声高に叫び、自社の社員に品質の重要性を説き、無理やりにでもトヨタ車から品質を学ばせた。
それもこれも、自動車に限らず自国の製品の品質を向上させ、日本を含む外国製品を買わずにアメリカ製品を買うのが正しいとする、アイアコッカ流のアメリカの民主主義を守る戦いだったからだと、私は思う。
当時の日本は、アメリカからすれば「日本株式会社」で、これほど手強いライバルは、自動車業界や家電業界ならずとも、世界に存在しなかったからだ。
ところが日本はバブル景気が弾けてしまうと、勝手に独り負けした30年を辿ってしまった。
あらゆる業界は内向きになり、政治も経済も停滞し、誰もが自信を持てずに結果として現状維持以外にほぼ何もしなかったように思う。
しかも、リーマンショックと民主党政治による日本の壊滅的なダメージを目の当たりにした私を含む日本人の多くは、第二次安倍政権に一筋の光を見たのは事実だった。
しかしながら、漢字もロクに読めない、簡単な英単語すらアレルギーが出る、ITなんて最初から理解なんてしようとしない劣化している現在の日本人に「民主主義ガー!」と言える資格があるだろうか?
なんでもかんでも安倍におんぶに抱っことはね。

全部、他人事で他人任せじゃねーかよ。

政治も、教育も、経済にしたって、経営者はどうにかこうにか頑張っていると思うが、その社員や契約社員も含めて、全部他人事で他人任せだ。だから安倍の政策に間違った価値を見出してしまうのだろう。
それで安倍を襲撃した容疑者に対して「民主主義への挑戦」とは笑わせる
最後にコレだけはハッキリ言っておかなければならないが、日本において現在の政体を変えるには、端的に言えばテロとクーデターに訴えるしかないだろう。
いわゆる「三島事件」はテロ事件であり、時の政権から「気が狂ったとしか思えない。常軌を逸している」とまで言われた。
実際、左派は当然ながら、右派や従来の既成右翼からも理解は得られなかったし、当時の一般人で晩年の三島由紀夫の行動を理解出来た人はごく少数で、皆無に近かったろう。
三島の没後50年を経た現在でも、当時の三島を理解している自称保守はどの程度いるのだろう?そもそも三島の著作すら読んでいないんじゃないか?
ゆえに、日本は平和ボケのまま、何ひとつ変わらない
せいぜい、本もロクに読まず理解も出来ないバカサヨとバカウヨが、SNSで好き勝手なことを言うだけで、誰も責任を取らない社会にしかならない。それらはバブル崩壊から経験済みではなかったのか。
参議院選挙は自民党が圧勝したが、さて、自称保守や右派は相変わらず憲法改正や、減税と景気回復を言い募るのだろうか。
とは言え、現実には既成与党に投票をせざるを得ないから、本当の保守派は自民党を内部から叩き直すしかないが、それも結局は対症療法でしかない。
本当ならば、三島由紀夫森田必勝以上の烈士が登場し、テロによるクーデターもしくは市民革命によって日本の政体を明治維新のように転覆し、それを引き取る政治家や政党が現れなければ、この国は国軍を持つ憲法改正すらどうにもならないと私は思っている。
誤解して欲しくはないが、私は凶弾に斃れた人を呼び捨てにして貶めているのではない。御本人にとってこれほど不本意なことはなく、哀悼の意を述べたい。魂の安らかんことをお祈りする。
私は単に安倍レベルの政治家をちゃんと評価出来ず、バブル崩壊以降に大量に発生したロスジェネの疎外感をも認識出来ない、政治家とその有権者全体の民主主義の根底を成す選挙が茶番でクダラナイと言っているのだ。そんな民主主義なんか棄てちまえ!と思う。
せいぜい今後も与党の政策に苦しめられ続け、生活に追われ続けて思考停止になっていれば良かろう。何度選挙をやっても、何も変わらないさ

そんな一日だった。(´ー`)y-~~oO

※2022/07/12 追記
某記事で「YouTubeで岡田斗司夫がジブリアニメ等の深読みを公開している」ことを知り、気分転換にYouTubeを見てみたら、こんな動画が出てきたので追記しておく。

私は普段からYouTubeを見る習慣がないため、ひろゆきが言う「無敵の人」(上記動画で岡田斗司夫は「モンスター」と言っているが)は知らなかった。
無敵の人」とは何かといえば、本稿で書いている「バブル崩壊以降に大量に発生したロスジェネの疎外感」を持った弱者のことで、極限まで追い詰められた際に自殺より他殺を選ぶ、逮捕や法的刑罰を恐れない人だ。
そんな社会的弱者を現在の日本社会で受け入れることは出来るのか?というのが岡田斗司夫が提起している問題だが、今回の安倍銃撃事件の容疑者を今後社会がどう扱っていくのか、注意深く観察したい。


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