【一生勉強】社会人が大学で学ぶということ

今、私は松本零士不滅のアレグレット』の名言・名セリフ集を更新している。
どうにも現在の自分はやりたいことが多すぎて、アレもやりたい、コレもやりたい、でも出来ないのはなんでなのか?が、分からない。
病気や加齢による体力や気力の衰えその他、色々に理由はあるのかも知れないが、数年前に比べて運営サイトの記事を書くのすらオックウになってしまった。
書きたいことは山ほどあるというのに。
そこで、とっくにコンテンツ化している『不滅のアレグレット』の名言・名セリフ集に手を入れて、まずは偉大な作曲家や演奏者の音楽を聴きながら、考えてみようと思ったのだ。

今サラながら自分でも驚くが、なんで高校中退で仕事もこれからという時に、私は大学の門を叩いたのだろう?
確かに私は高校在学中から、大学でコンピュータサイエンスをやりたいと思ってはいた。ところが、怠け者で自分の好きなことしかやらない私も私だが、まず、家庭環境がそれを許してはくれなかった。
私はアッケなく高校中退を決めた。父が死んで私が長男で、母を支えるしかなかったからだ。
私は尾崎豊世代でもあるから、安いパチモンのウォークマンモドキで「十七歳の地図」を聴きながら、満員電車に揺られて仕事に向っていた。

終電で帰れればまだマシな毎日だったが、私は自分が望むプログラマになっていて、正社員として働いていた。
仕事はかなりハードだったが楽しく、そして同僚も先輩も上司も、少ないプライベートな時間でも呑みに行ったり遊んだりする「戦友」だった。
当時の私はウヌボレていたのかも知れない。自分は「技術者として一人前だ」と。
だから、仲間と有限会社を作って独立した。仕事の割に、あまりに給料が安かったから。
だが、若い有限会社と若い私を相手にする人なんか誰もいないことを思い知った。
会社を設立して1年ぐらい経ったか、ある京都の会社にツテがあって営業に行った。

ふうん。で、有限会社がなんで来たの?

購買部長の名刺のその人は、ニコリともせず、そう聞いて来た。
今の私なら

ええ、新幹線で来ますたw

とブチかますぐらいの余裕はあるが、当時の私はそうではなかった。それでも受託して開発して納品したがな!(笑)
だが、バブル景気とともに、有限会社はケシ飛んだ。ヽ( ´ー)ノ フッ
同時期に母も寝たきりになって、私に助けを求めたのだ。
私は実家を離れて、会社を作った練馬で彼女と同棲していたから。
会社がダメでフリーランスになったが、否応なく同棲していた彼女と別れた。
会社の関係の借金と、東洋医学(気候療法)しか受診しないという頑なな母のせいで。
電話は借金の催促で鳴り止まないから、電話線から引っこ抜いた。
20歳だったが当時は車の免許を持っていなかったから、母を病院に連れていく時だけ電話線をつないでタクシーを呼んだ。
運がいいと、私につながる。そこで、たまたま運が良く仕事には恵まれた。
それでも借金の返済、母の医療費とタクシー代、生活費がまるで足らないから、深夜の新宿・歌舞伎町で夜勤のバイトもした。
日中は受託したソフト開発をしていたから、あの頃はほぼ寝ていなかったと思う。

3年・・・ぐらいかかったか。
母は寝たきりを何とか脱してくれて、自分でトイレや風呂に入れるようになった。
母と自分の借金も完済して、やっと貯金も出来るようになっていた。
その間、私は第二種情報処理技術者試験(現・基本情報技術者試験)その他、合間をみて独学して資格を取ってはいたが、売上管理をしたいという顧客要望に応えるには、どうしても知識がない。
日商簿記3級は、本を1冊買って勉強して実際に受験して取ったが、どうにもこれではダメだ。
帳簿の仕訳と小口現金、それに財務諸表の作り方しか分からなかったから、これだとどうやって企業は売り上げて利益を獲得し、存続するのか? 何を管理したいのだろう?
有限会社の失敗は手痛かった教訓でもある。自分が働いただけお金になるフリーランスでは会社経営は分からない。
調べると、中小企業診断士の国家資格があることが分かった。
これの情報部門で取れば、コンサルとしても仕事が出来るのでは?と思った。
ところが、簡単な試験ではない。こりゃ独学ではどーにもならんと思った。

じゃ、大学で体系的に勉強すればいいんじゃね?

私は単純だから、そう考えた。
大学に入学するには、まず大検を取らねばならぬ。
私は2年次中退だから、当時は11科目を受験して全部合格しないと大検が得られない。
それに学習指導要領が変更されているから、物理ⅠAとかⅠBとかナンジャラホイ?だし、家庭科まで必修と来たモンだ。

知るかボケェ!(# ゚Д゚)

だが、大学に行くにはやるしかない。
流石に家庭科は勉強のしようがなかったが、実際に家事をやってるんだからぶっつけ本番しかないし、その他の教科もロクに勉強なんぞ出来ない。
だけど、何とかなった。
そして大学受験だ。これを突破せにゃならん。が、これも何とかした。
これが社会人の優位性だろう。
当時の大検も、それと社会人が大学に入学するとなれば、それなりに専門の塾や予備校があるが、そんなん、時間もカネもねーもん(笑)。
だから寝る間も惜しんで勉強するしかないが、それは自分の職業の専門領域でも当たり前のことだ。
別に苦ではなかったが、だからこそ、お金を払って勉強が出来る場(大学)ってのは、私からしたら贅沢極まりないことだった。
第一志望の大学の面接で、面接官だった2人の教授は私の志望理由書(だったかな?)とか経歴書を見て

これだけの経歴があれば、何も大学で勉強することはないんじゃないの?

と言う。私はそうじゃない!ことを必死でアピールした。

そうじゃないんです! 社会人が体系的に何かを学ぶのは、非常に大変です。
ですから、ぜひ、貴学で勉強する機会を私にください!

私は必死だったし、面接の場で言ったのは本音だった。
私が母校を第一志望に選んだのは、学びたい学科(産業経営学科)だったのと、何よりも都内で通学に至便だったから、仕事を終えた後にも通いやすい大学だったからだ。
それに私学なのに、二部(夜間部)は国公立よりちょっとしか学費が高くない(つまり安い)のもあった。
それでいて一部の教授が二部も教えるから、教育格差がなかった(しかも後で知ると学部間格差もなかった)のが大きい。
もし仮に東大の経済学部に二部があったら、私は通学しやすいし、東大を目指したかも知れない。
だが、国公立の二部は5年制だから、どうかな?とは思うものの、働きながら最高の教育が受けられるのなら、私は迷わず目指しただろう。
そういった意味で、私は最高の教育が受けられると信じて母校を目指した。
そしてその期待はほぼ裏切られなかった。だから母校には感謝している。
私が大学に入学したのは、28歳の時だった。
その時・・・

SEでこれからという時に、大学だってよ。
いい気なもんだよなぁ。

当時、まだまだIT技術者は「残業してナンボ」だったのはある。
表では

今から大学!?その歳で大学生ですか。
いや、学ぶというのは素晴らしいことですよ。

と、大人らしく、かつ、皮肉(嘲笑?)を込めて言われたものだ。
表では「頑張ってますね」「働きながら勉強するなんて、普通は出来ないですよ」と言っているような多くの人が、裏でこう言っていることを私は知っていた。
ひとつには、どうしようもないぐらい、日本の大学教育が社会で評価されていないことだ。
それは一部の大学教員(教授)も分かっていて、諦めているフシがある。
そして残念なことだが、社会人学生にも一定数「大卒という資格」だけが欲しい人もいる。
それらを含め、私は否定しない。
だって、それが日本のリベラル・アーツの現状であるし、特に有名大卒の資格が欲しい人の気持ちは、私には分かる。
私だって、今まで散々中卒(高校中退)で、どれだけバカにされたことか。
あるいはまた、私の仕事を見て「◯◯さんは、どちらの出身(大学)なんですか?」と聞かれることも多い(実は今もタマに聞かれる)。
私は得意の諧謔とダジャレで煙に巻いてきた。それでいいと思った。
だが、自分の中で自分の職業を大切に、かつ、誇りを持っているから、もっともっと勉強せねばなるまいと思っていたし、今でもそう思っている。
自分にはウソはつけない。素直で誠実でなければ顧客の声が聞けないのと同様、自分に対して素直で誠実でなければ、いい仕事は出来ない。
別に大学を卒業したからと言ったって、現に私は仕事でも経済的にも成功はしていない。
それでも、何かしら学ぶという姿勢がなければ、どんなことも出来ないし、やれない。
やりたいと思うことすら、年齢と共になくなってしまうだろう。
そんな人生、楽しいハズがない

ところが・・・私は疲れてしまったのかも知れない。
好きな読書をしようと本を手に取っても(読みたい本は本棚にはもう30冊以上もある)、目がダメで細かい活字が読みにくく、非常に疲れる。
頑張って本を読んでも、集中力も散漫で続かない(若い頃に読んだリルケは、再読したら特にダメだったw)。
やりたいことは・・・冒頭に書いたように、いくらでもある。
書きたいことも山ほどあるし、好きなコード(プログラム)だって書きたい。そしてその場(運営サイト)を苦労して作って今それがあるのに、中々書けない。
怠惰になってしまったのか? いや、元々私は怠け者じゃんw
もうね、何もせず音楽を・・・それも本物の音楽を聴いてみたいと思った。
だから冒頭に戻るのだが、松本零士不滅のアレグレット』の名言・名セリフ集を更新しようと思ったのだ。

私には元々クラシック音楽を聴く趣味はない。
だが、やっぱり胸を打つ音楽はある。
無論『不滅のアレグレット』に登場する作曲家や指揮者、演奏者の名前は、ある程度は知っている。
しかし、今になって改めてその曲を聴いた時・・・ああ、松本先生はこれを表現したかったのか!と、今さらながらに思う。
これも新しい発見で、学びではないか。
人間は一生勉強だよ」と、母が子供の頃から繰り返したことを思い出す。
じゃあよママ上、オマイは勉強したのか?とも言いたいが、それはまた別の話だ。
女なんてそれが少女でも、母になっても、老婆でも、勝手なことしか言わない
だが、その中にも真理はある。
だからヲヤヂの私が「一生勉強だ」と言ったからとて、批判はされまい(多分)。
人生は短いが、かといって立ち止まって音楽を聴くぐらいの余裕は欲しいやね。

そんな一日だった。(´ー`)y-~~oO

参照記事

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