12月8日の大東亜戦争開戦に寄せて

本日、12月8日は大東亜戦争が開戦した日だ。
ざっとTwitterを見回してみたが、大東亜戦争について何かツイートしている人は少なく、FacebookではFBFが投稿しているのは確認したが、何か書いて投稿している人は少ないようだ。
ところが、GoogleアナリティクスGoogle AdSenseで確認すると、サーチエンジンからの流入で、去年記事にした「令和元年の今だからこそ読みたい【開戦の詔書】全文・現代語訳」がやたらと読まれているようだ。

午前0時を過ぎないと正確な数字が出ないが、サイト全体のアクティブユーザ数も、普段の平日より100以上は多い。

私の知らない所で(SNS等で)記事が紹介されているのかも知れないが、12月8日という日と大東亜戦争について、心ある人が参照してくれていると思うと、素直に嬉しい
そこで、私の駄文よりも、開戦当日に作家は何を思い、何を考えたのか、ささやかではあるが、作品を紹介しようと思う。

まずは坂口安吾から、「真珠」を紹介しよう。

白痴・二流の人 (角川文庫)

白痴・二流の人 (角川文庫)

安吾, 坂口
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この作品は、安吾の私小説の中ではひときわ異彩を放つ、美しい作品だ。
特殊潜航艇で真珠湾に潜み、特攻・散華された九軍神と、開戦当日のことを書いている作品で、安吾自身は小田原まで夏の洪水で水浸しになったドテラを取りに行くハズが、結局はほうぼうで酒を呑んで酔っている、安定の安吾っぷりだ。
安吾は開戦後3ヶ月ほどは九軍神のことを知らなかったようだが、「あなた方」と呼びかけ、素直に感慨を述べている。

老翁は、自らの白骨をお花畑でまきちらすわけに行かなかったが、あなた方は、自分の手で、真珠の玉と砕けることが予定された道であった。そうして、あなた方の骨肉は粉となり、真珠湾海底に散った筈だ。あなた方は満足であろうと思う。然し、老翁は、実現されなかった死後について、お花畑にまきちらされた白骨について、時に詩的な愛情を覚えた幸福な時間があった筈だが、あなた方は、汗じみた作業服で毎日毎晩鋼鉄の艇内にがんばり通して、真珠湾海底を散る肉片などについては、あまり心を患はさなかった。生還の二字を忘れたとき、あなた方は死も忘れた。まったく、あなた方は遠足に行ってしまったのである。

坂口安吾真珠」末尾より引用(角川文庫『白痴・二流の人』所収)

最後に太宰治から、そのものズバリ「十二月八日」を紹介する。

ろまん燈籠 (新潮文庫)

ろまん燈籠 (新潮文庫)

治, 太宰
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太宰治にしては珍しく、登場人物が全部実名で、しかも美知子夫人の日記の体で書かれた、ユニークな作品だ。
太宰がラジオ嫌いなのは恐らくポーズで、実は機械オンチだったのでは?と思う。無精だがしかし繊細な人なので、ラジオ局に周波数を合わせるだとか、真空管が切れた際の修理だとか、面倒なことを大いに嫌った可能性がある。
周囲(友人や師匠の井伏鱒二、結婚後は美知子夫人等)が手を焼いてセッティングしなければ、自分から進んで手を出さないお坊ちゃん気質が太宰にはある。
ともあれ、美知子夫人が早朝お隣のラジオで開戦を聞き、日記を書くという塩梅で、その日の日本の主婦の目線から語られる事実や心情は、今なお新鮮であると言える。

令和元年の今だからこそ読みたい【開戦の詔書】全文・現代語訳」記事でも紹介したが、ドナルド・キーン角地幸男・訳)『日本人の戦争-作家の日記を読む』の「第一章 開戦の日」の冒頭は、「英米との戦争が勃発したことを知って、これまで日記などつけたことのない者まで含めて、数多くの日本人が日記を書き始めた」の書き出しで始まる。
当時は今と違って日記を書く習慣があったにせよ、戦争の開戦を知るや、それを契機に日記を付け始めた人は多かったろうと思う。
そういった意味でも、この「十二月八日」の書き出し

 きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。だから文章はたいへん下手でも、嘘だけは書かないように気を附ける事だ。なにせ紀元二千七百年を考慮にいれて書かなければならぬのだから、たいへんだ。でも、あんまり固くならない事にしよう。

太宰治十二月八日」冒頭より引用(新潮文庫『ろまん燈籠』所収)

は、ごく自然な導入部となっている。
流石は太宰だが、今となっては分かる若い人は絶無だろうとは思う。とは言え、これに続く本文で読者を「クスッ」と笑わせる面白さは健在だ。
そして、若い頃の私がいつまでも分からないままであったのは、次の部分(末尾)だ。

 背後から、我が大君に召されえたあるう、と実に調子のはずれた歌をうたいながら、乱暴な足どりで歩いて来る男がある。ゴホンゴホンと二つ、特徴のある咳をしたので、私には、はっきりわかった。
「園子が難儀していますよ。」
 と私が言ったら、
「なあんだ。」と大きな声で言って、「お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ。僕には、信仰があるから、夜道もなお白昼の如しだね。ついて来い。」
 と、どんどん先に立って歩きました。
 どこまで正気なのか、本当に、呆れた主人であります。

太宰治十二月八日」末尾より引用(新潮文庫『ろまん燈籠』所収)

日本近代文学で太宰ほど真摯に聖書を読み、かつ苦悩した作家もあるまいと思うが、この「僕には、信仰があるから」は、恐らくキリスト教のことではないだろう。
では、何に対しての信仰であったのか。
今の私にはハッキリと断言出来るが、それは神道と天皇陛下への信仰だったのではないか、ということだ。
戦後教育と人権を尊重し、差別を嫌い平等を尊ぶ今の日本人には、多分、理解不能な話ではあるし、政教分離を盾に「靖国神社国家護持法」が1974(昭和49)年に国会で廃案になり、後の中曽根康弘首相の靖國神社参拝が問題になる等、戦後から連綿と続く今の日本のテイタラクではどこから説明して良いのか、私には分からない。
ともあれ、当時の作家による作品を読み、日本が開戦した意義を噛み締めたいと思う。
なお、文庫を持っていない人や、すぐに作品を読みたい人は、次の青空文庫(無料でスマホでも読める)のリンクを参照して欲しい。

本当は、文庫を買うなり図書館を利用するなりして読み、他の作品も合わせて読んで貰いたいのだが、まずは知って貰わないと話にならない

そんな一日だった。(´ー`)y-~~oO

 

 

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