日本人は支那のことを普通に「中国」と呼ぶが、これが間違っていると真正面から切り込んだ記事が今まで少なかったようだ。
それに戦後から80年近くもマスコミが「中国」の呼称を当たり前に使い、いつの間にか「支那は差別語」といった間違った認識を持つ日本人が増えてしまったように思う。
SNSでも2018(平成30)年頃にX(当時はTwitter)に「BAN祭り」なる反日左派の過激な連中(それも多くは在日朝鮮人や在日支那人と思われる)により、「支那」もしくは「シナ」と書いて投稿すると、集中攻撃を受けてアカウントがBANされる事象が多発した。
Facebookでも保守派で「日本では今までシナチクや支那そばと言っていたが、それを規制するのはおかしい」と投稿したアカウントが凍結(規制)されるといった、「言葉狩り」が蔓延していた。
今では「BAN祭り」は収束したようだが、先日支那で日本人学校に通う男子児童が支那人に刺殺される事件が発生し、私も通州事件(「通州事件アーカイブズ設立基金」サイトも参照のこと)を引き合いに病室からスマホでXに「シナ」や「シナ人」と投稿していたものの、またぞろ「シナ」や「シナ人」の語を言葉狩りするようなポストが増えているので、『新聞が伝えた通州事件 1937ー1945』の紹介記事より先に本稿を書いておこうと思う。
「支那」の語が日本で封殺された経緯
戦後、日本にGHQが進駐して直接・間接的に日本を支配していたのは周知の通りだが、GHQは戦前の日本を全否定して「日本に二度と戦争をさせない」よう、あらゆる手段を講じた。
その手段のひとつとして、私信までも検閲するといった厳格な言論弾圧と情報統制を行い、さらに当時の日本政府(吉田茂内閣)との密約により、戦前までの書籍7,769点を焚書(ふんしょ:流通している書物を没収・廃棄)している。
特にGHQが1945(昭和20)年9月19日に通達した検閲のプレスコード(SCAPIN-33:日本に与うる新聞遵則)により、マスコミ(新聞各社)や出版社はGHQによる事前検閲(地方紙の場合は事後検閲)を余儀なくされた。
その中で、次の具体的な削除及び発行禁止対象カテゴリーが内密に規定されていた。
- SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
- 極東国際軍事裁判批判
- GHQが日本国憲法を起草したことの言及と成立での役割の批判
- 検閲制度への言及
- アメリカ合衆国への批判
- ロシア(ソ連邦)への批判
- 英国への批判
- 朝鮮人への批判
- 中国への批判
- その他の連合国への批判
- 連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
- 満州における日本人取り扱いについての批判
- 連合国の戦前の政策に対する批判
- 第三次世界大戦への言及
- 冷戦に関する言及
- 戦争擁護の宣伝
- 神国日本の宣伝
- 軍国主義の宣伝
- ナショナリズムの宣伝
- 大東亜共栄圏の宣伝
- その他の宣伝
- 戦争犯罪人の正当化および擁護
- 占領軍兵士と日本女性との交渉
- 闇市の状況
- 占領軍軍隊に対する批判
- 飢餓の誇張
- 暴力と不穏の行動の煽動
- 虚偽の報道
- GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
- 解禁されていない報道の公表
注目すべきは上記 5.~11. の連合国への批判禁止で、その中で特に 7. と 8. は対日戦勝国でも何でもない朝鮮人と支那への批判禁止が含まれている。
そんな中、外務省は翌1946(昭和21)年6月7日付で主要マスコミに対して「支那」の使用をやめるよう、次の通達を出した。
中華民國の國名として支那といふ文字を使ふことは過去に於ては普通行はれて居たのであるが其の後之(そのごこれ)を改められ中國等の語が使はれてゐる處(ところ)支那といふ文字は中華民國として極度に嫌ふものであり,現に終戰後同國代表者が公式非公式に此(こ)の字の使用をやめて貰ひ度(た)いとの要求があつたので今後は理屈を拔きにして先方の嫌がる文字を使はぬ樣にしたいと考へ念のため貴意を得る次第です
要するに支那の文字を使はなければよいのですから用辭(ようじ)例としては
中華民國、中國、民國。
中華民國人、中國人、民國人、華人。
日華、米華、中蘇、英華
などのいづれを用ひるも差支(さしつかえ)なく唯(ただ)歷史的地理的又は學術的の敍述(じょじゅつ)などの場合は必しも右に據(よ)り得ない例へば東支那海とか日支事變(にっしじへん)とか云ふことはやむを得ぬと考へます
ちなみに現在の滿洲は滿洲であり滿洲國でないことも念のため申添へます
昭和二十一年六月七日
岡 崎 外務省總務局長
出典:外務省「支那の呼稱(こしょう)を避けることに關(かん)する件」
※注:難読と思われる箇所はカッコ書きで読みを追加した
要するに、戦後の中華民国(1912(明治45)年1月1日建国・現在は台湾を指す)の代表者(蒋介石)から「支那と呼ばないで」と公式または非公式に要求があり、日本としては「相手が嫌がるのなら中国と呼称を改めよう」と外務省が通達を出したんである。
GHQの検閲で発行停止や没収を喰らいたくない当時のマスコミや出版社は、この外務省通達で「中国」の呼称を積極的に使うことになるが、現在の中華人民共和国(支那)の建国が1949(昭和24)年10月1日なのがミソだ。
これは現在に至る台湾と支那の「二つの中国」問題を孕むが、当時の外務省は現在の台湾を支那と呼ぶのはヤメようとは言ったが、現在の中華人民共和国を支那と呼ぶこととは何ら関係がなく、むしろ後の支那が「中国」と呼称するように仕向けたとも言える。
結果として慣例的に今も昔もマスコミと日本人がGHQの呪縛から脱しきれず(また支那や支那人による何らかの圧力により)、「中国」と誤った認識の元に呼称しているに過ぎない。
「China」は差別語か?
これは私が先日Xにポストした内容だ。
「china」を「チャイナ」と言おうが「ヒーナ」または「シーナ」と言おうが、それは各国言語の自由。
同様に日本で「シナ」と言って何が悪いのかね?むしろ「中国」と呼称する方が、戦後GHQの自虐史観とシナの中華思想に毒されていて気持ちが悪い。
日本には古来から「中国地方」があるのにねw https://t.co/KiL0Zjuu5G— オヤジ戦隊ダジャレンジャー@PukiWikiオンラインサロン主催 (@dajya_ranger_) September 20, 2024
記事らしく各国の言語での表記(発音)をまとめると、次のようになる。
言語 | 表記 | 発音 | 備考 |
日本語 | 支那 | シナ | |
英語 | China | チャイナ | |
ドイツ語 | ヒーナ | ||
オランダ語 | シーナ | ||
ポルトガル語 | |||
ルーマニア語 | |||
スペイン語 | チナ | ||
マレー語 | チャイーナ | ||
フランス語 | Chine | シーヌ | |
イタリア語 | Cina | チナ | |
チェコ語 | |||
インドネシア語 | ツィーナ | ||
タガログ語 | Tsina | ツィナ | フィリピンの公用語 |
ペルシャ語 | Chinistan | シニスタン | イランを中心とした中東地域の言語 |
韓国語(朝鮮語) | 청국 | チェングク | |
ベトナム語 | TrunQuonk | トゥルンコック |
挙げるとキリがないが、日本を含め洋の東西を問わず支那(シナ)は、始皇帝が統一した王朝「秦(しん)」の転訛(てんか)として今もその語(表記)が使われている。
そもそも「中国革命の父」と呼ばれ、支那で国父と呼ばれている孫文が自国を支那と呼んでいるのだから世話がない。
元は古代インドから仏教が隋に伝来した当時、チベットを経由した経典の梵語(ぼんご:サンスクリット語)の「チーナ・スターナ “China staana”」が「支那」と漢字で音写されたことに由来する。
その他「支那」以外に「至那」「脂那」(いずれも読みは「しな」)や、「震旦」「真丹」「振丹」(いずれも読みは「しんたん」)等があって、「シナ」の発音が西洋に伝わったようだ。
ちなみにペルシャ語の「シニスタン」は「震旦」が語源のようだが、「支那の国」(「~スタン」はペルシャ語で土地や国を指す言葉)といった意味だろう。
例外なのは韓国語(朝鮮語)の「チェングク」やベトナム語の「トゥルンコック」で、「中国(世界の中心)」の意味があるそうだが、これは支那の朝貢国で属国であった歴史に関係するようだ。
ともあれ、世界的に「China」とその類語(日本語では支那)が使われており、差別語でも何でもないことが分かるだろう。
結局のところ、現在の支那人が自分達のことを日本人に「支那」または「支那人」と言われることに何らかの侮蔑を感じていて、日本や日本人に対して差別だキャベツだと騒いでるに過ぎないのではないか。
だとしたら間違っているのは支那人で、イヤなら世界に向かって『「China」と呼ぶな!』と騒げばいいだけの話だし、日本以外で騒いでいる支那人(と、勘違いしてる日本人)がいないのが現実だ。
ただ、日本で戦後長く「中国」の呼称が使われて一般化してしまったため、「支那」や「シナ」と呼称・表記する人が変な目で見られ、あまつさえ「何らかの意図がある」かのように不審がられてしまったのは否めない。
中華思想の「中国」と反日感情
中華思想とは古代から漢民族が持っている自民族中心主義のことで、分かりやすく言えば支那が世界の中心であるという考え方だ。
その自前の美称のひとつが「中国(「世界の中心」の意)」であって、戦後日本が呼称した「中国」という固有名詞とは違って長い歴史がある。
古代の支那はアジアの先進国であり、日本が聖徳太子が遣隋使や遣唐使を派遣して支那の制度や文化を学んでいたのは事実だし、歴史の授業でやったのを覚えている人も多いだろう。
古代支那の中華思想の世界観では、天からの命令(天命)を授かって世界を治める「天子(てんし)」がいるとされ、その天子が政治を行う朝廷があるのが「中国(世界の中心)」だ。
そして「中国」以外の離れた場所の人間は愚かで野蛮だとして、四方の異民族を「四夷(しい)」という蔑称で呼んでいた。
図にある通り、四夷は東夷(とうい:大陸沿岸部の朝鮮や日本などの東方諸国)・西戎(せいじゅう:元は西のタリム盆地諸国を指し、広くは中央アジアやインドやイラン、さらに地中海沿岸の西アジアも含んだ)・北狄(ほくてき:現在のモンゴル等の放牧・騎馬民族の北方諸国)・南蛮(なんばん:現在のベトナムやカンボジア等の東南アジア諸国)を指し、「化外(けがい)の地」(中華文明が及ばない「文明の外」の国や民族)としていた。
天子は皇帝の別称で、「皇」は天子にのみ使われる字であって皇帝は世界の中心である「中国」だけでなく、四夷を臣下として従えて治める役割を担っていた。
この「中国」の臣下となった国の長に「王」の称号を授け、王は皇帝に忠誠を誓って貢物を納めさせていた(図の朝貢国(ちょうこうこく)の部分を参照)。
この冊封体制下の貿易形態により、「中国」は朝貢国の王にその国の統治を認めたワケで、早い話が朝貢国は支那の属国であり、これが中華思想の中華秩序(華夷秩序)として漢の時代から明の時代で確立された。
では日本はどうしたかと言えば、聖徳太子が書いて遣隋使の小野妹子が皇帝の煬帝(ようだい)に手渡したとされる、推古天皇からの国書に次の有名な一文がある。
日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す(日出處天子致書日沒處天子)
この国書を読んだ煬帝は激怒したと学校で習ったハズだが、なぜ激怒したかと言えば、東夷に位置する日本が皇帝と同じ「天子」を名乗り、中華秩序に従わない(正確に言えば隋と対等である)と言って来たからだ。
その翌年に送った日本からの国書の書き出しも、
東の天皇、敬(つつ)しみて西の皇帝に白(もう)す(東天皇敬白西皇帝)
とあり、あくまで日本は支那の天子のみに使われる「皇」の字を使い、改めて支那とは属国ではなく対等の独立国であることを示した。
隋の皇帝・煬帝は不本意ながらも日本からの国書を受け入れたワケだが、こうしてアジアには「2つの中国(世界の中心)」という新しい世界観が誕生し、日本は遣隋使や遣唐使で支那の文化を吸収しつつ、張り合う形になった。
ここで面白いというか、日本の宿命というか、この「2つの中国(世界の中心)」を歴史的に長く認めなかったのが支那の朝貢国で、熱心とも言うべき臣下で属国の朝鮮だ。
非常に乱暴かつザックリ言えば、支那も朝鮮も古代だけで中世をスッ飛ばして近代にタイムリープしたような国だから、支那の清朝はイギリスのアヘンにヤラレ、李氏朝鮮は大規模な農民の反乱を自力で解決出来ない有り様だった。
無論、日本は自国の権益拡充や緩衝地帯確保といった意図もあったが、ある意味朝鮮のために日清戦争や日露戦争を戦い、朝鮮の要望で日韓併合まで実施した。
ところが日清戦争により支那が、日韓併合により朝鮮が、日本に対して反日感情を持つ契機になったと言えるかも知れない。
これは古代から続く支那(漢民族)の中華思想が日清戦争の敗戦によって打ち砕かれた屈辱や、その支那の中華思想にベッタリで歴史的に決して日本を認めなかった朝鮮が日本に併合された屈辱が、現在の反日教育や日本蔑視の根底にあるのだろうと思う。
詰まるところ、支那は日本に「中国」と未だに呼称させ続け、朝鮮(韓国)が日本の天皇を認めず「日王」と侮蔑しているのだから、日本で中華人民共和国の呼称が「支那」や「シナ」なんていうのは、実に取るに足りない話だ。
中国は日本古来の地名なのに使えない現状
日本は古来より山陰(日本海側)と山陽(瀬戸内海側)を合わせた地域(時として四国も含んだ地域)を中国と呼び、少なくとも南北朝時代には中央の支配階級から「中国」と認識されていた。
戦国時代でも豊臣秀吉による中国大返し(備中大返し)があった史実が知られているし、明治期に無教会主義を唱え、太宰治にも影響を与えた内村鑑三は広島や山口県人を「中国人」と呼んでいたりする。
それはともかく、戦後になって前述した1946(昭和21)年6月7日付の外務省通達で「今後は理屈を拔きにして」(正確には中華民国が対象だったが)支那を「中国」と呼称することになったため、混乱が生じたのは言うまでもない。
すでに日本には中国新聞、中国銀行、中国電力といった企業があるのにムチャ過ぎるが、長いこと支那を「中国」と呼称し続けた結果、日本の「中国」が伝わらなくなってしまった。
当の中国地方(鳥取・島根・岡山・広島・山口)に居住している人は、実際にどう思っていたのか(または現在どう思っているのか)、私は不思議でならない。
それで言うと昔、私は旅行業界向けの業務パッケージシステムの設計と開発をやっていたが、ユーザの旅行代理店から「中国地方で旅行の行程を作成するとお客さんに通じない」とクレームをもらったことがある(私は「そんなの知らねーよ」と無視したが)。
だからか(?)現在の旅行業界では「中国地方」ではなく、「山陰・山陽地方」と表記(表現)しているようだ。
ともあれ、戦後GHQの厳しい検閲の中で外務省が通達した「中国」ゴリ推しの呼称に日本人がワリを食っているのは事実で、いつまでも「中国」と呼称し続ける必要はまったくない。
おわりに
これまで説明した内容から、支那を「中国」と呼ぶのが間違っている本当の理由をまとめると、次の通りとなる。
- 「支那」または「シナ」の呼称は差別語ではなく、世界標準の呼称である
- 聖徳太子が遣隋使によって支那の皇帝に国書で伝えたように、日本は支那の属国ではなく対等の独立国であるとした事実を否定することになる
- 中国は日本古来の地名であり、敗戦によってゴリ推しされた「中国」の呼称をいつまでも強要される謂(いわ)れはない
上記 2. に付け加えると、「中国」の呼称は中華思想の「中国(世界の中心)」といった意味に捉えられかねず、また、支那が満州・内モンゴル・チベット・ウイグルの各民族の領土を侵略している事実を日本または日本人が肯定している、ということになりかねない。
本サイトのすべての記事は読者の便宜を図るために、なるべく本文に外部リンクを埋め込んでいるが、さらに本稿では難読と思われる漢字にカッコ書きで読みを追加して分かりやすく説明したつもりだ。
それでもまだ、アナタは支那を中国と呼びますか?
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