私は長年の不摂生がたたって体調不良になり、この3年ほどは体調が回復したり不良になったりを繰り返している。
ついに昨年の今頃、杖(ステッキ)がないと外出すら危うくなってしまった。
どうせまた1~2ヶ月もすれば体調も回復するだろうと思い、Amazonで一番長く伸縮する安いステッキを買って使うことにした。
当初「この歳でステッキかよ」と絶望にも似た気持ちでいたが、思いの外ステッキを持って外出するのが楽しいことに気付いた。
そこで、中高年こそお洒落で素敵なステッキを持ち、散歩を楽しむことをオススメしたい。
少なくとも、足腰が弱くなったり悪くなってからステッキを持たざるを得なくなる前に、お洒落で素敵なステッキを持つ楽しさを知っておいた方が、老後もハッピーだろう。
ステッキのザックリな歴史
ステッキは、ヨーロッパでは中世から国王が権力のシンボルとして持ち、貴族も豪奢なステッキを持っていた。
それらは実用性よりもむしろアクセサリー的な意味合いが強く、装飾がたくさん施されたステッキだったようだ。
日本でも古事記には「御杖(みつえ)」や、日本書紀には「杖」の記述があるようで、ステッキは古代から権力のシンボルとして認識されていたと思われる。
イギリスでは、18世紀後半から19世紀にかけてステッキが紳士の定番スタイルとして、シルクハットやネクタイ、手袋などとともに「キチンとした身なり」のシンボル的なアイテムになった。
特に帽子とステッキはセットで、ともに地位や富のシンボル的なアイテムであり、お洒落のアイコンでもあった。
当時のイギリスは産業革命によって世界中に植民地を作ったヘゲモニー国家で、特に貴族や上流階級は一般市民より遥かに経済的に豊かであるからこそ、ノブレス・オブリージュ(高い社会的地位には義務が伴うことを意味するフランス語)をファッションで体現していたのだろう。
日本人が洋風のステッキを持つようになったのは明治時代からで、文明開化が進んだ明治10年代後半では、紳士のお洒落アイテムとして若者も持つようになったらしい。
明治期の文豪で言えば、国費留学でイギリスに英語を学んだ夏目漱石や、同じく国費留学でドイツに医学を学んだ森鴎外もステッキを愛用していたようだし、海外留学はしていないが、芥川龍之介もステッキを持っていたようだ。
昭和期の文豪だと太宰治や坂口安吾もステッキを持っていたし、戦後の日本の舵取りを任された「和製チャーチル」こと吉田茂首相(当時)がステッキ愛好家だったのは有名だ。
日本を代表するような文豪や政治家といった有名人でなくとも、激動の昭和を駆け抜けて1993(平成05)年10月20日に朝日新聞東京本社の役員室で拳銃自殺を遂げた、新右翼で民族派活動家の野村秋介も、お洒落で素敵なステッキを持っていた。
ステッキは高齢者や足腰が悪い歩行困難者だけのものなのか
いつから日本でステッキを持つのが「高齢者や足腰が悪い歩行困難者」という認識になったのかは分からないが、20世紀に入ってアメリカのフォード・モーターが開発し、1908年に発売したT型フォードによるモータリゼーションの影響が大きいだろうと思われる。
アメリカ発のモータリゼーションにより、ヨーロッパでも移動手段が徒歩や馬車から自動車にシフトし、それが高級な帽子やステッキを持つより遥かに高いステータスにもなったワケで、より実用的なファッションが好まれるようになったのは、想像に難くない。
日本でモータリゼーションが起きるのはアメリカよりずっと後だが、太宰治の長兄はT型フォードを持っていたし、そんなお金持ちやタクシー需要からT型フォードは日本にも輸入されていた。
私はT型フォードに乗ったことはないが、普通に考えて自分が運転するにせよ、タクシーに乗るにせよ、ステッキは邪魔だったに違いない。
詰まるところ、ステッキ(この場合は英語で「Cane」)に実用性を見出すのは「高齢者や足腰が悪い歩行困難者」でしかない、ということなのだろう。
しかし、自分が気に入ったステッキ(この場合は英語で「Walking Stick」または単に「Stick」)を持って外出したり、散歩するのが楽しいという発見は、私も自分で驚いたほどだ。
私は坂口安吾が「いずこへ」で、次のように書いている理由がやっと分かった。
私はそのときハイキング用の尖端にとがった鉄のついたステッキを持っていた。私はステッキを放したことのない習慣で、そのかみはシンガポールで友達が十弗(ドル)で買ったという高級品をついていたが、酔っ払って円タクの中へ置き忘れ、つまらぬ下級品をつくよりはとハイキング用のステッキを買ってふりまわしていた。私の失った籐(とう)のステッキは先がはずれて神田の店で修繕をたのんだとき、これだけの品は日本に何本もない物ですと主人が小僧女店員まで呼び集めて讃嘆して見せたほどの品物であった。一度これだけのステッキを持つと、まがい物の中等品は持てないのだ。
出展:坂口安吾「いずこへ」(岩波文庫『風と光と二十の私と・いずこへ 他16篇』所収)
初出:1946(昭和21)年10月01日『新小説』第1巻第7号
ちなみに坂口安吾は、1955(昭和30)年02月17日に急逝するまで、ステッキを愛用し続けていたことでも知られている。
ステッキを購入する際のアドバイス
いきなり「お洒落で素敵なステッキを購入して散歩を楽しめ」と言ったところで、本当に自分にステッキが合うのか、ステッキを持って外出するのが楽しいのかどうか、それは分からないだろう。
そこで、最初にステッキを購入する際のアドバイスを書いておきたい。
ステッキが自分に合うか試してみる
自分の家や職場の近くにステッキを販売している専門店があるなら別だが、多くの場合はAmazon等でステッキを購入することになるだろう。
そこでまず、2,000~3,000円台ぐらいの安いステッキを一本買ってみて、ステッキが自分に合うかどうか、ステッキを持って外出したり、散歩して楽しいかどうかを試してみてほしい。
1~2ヶ月程度ステッキを使ってみて、良いと思えばお洒落で素敵なステッキへステップアップすればいいし、今の自分にはステッキが合わないと思えば、老後や病気または事故でステッキが必要になるまで大切にしまっておけばいい。
まずは安いステッキを購入して試してみることからやれば、そんなに失敗することはないだろう。
しかし、最初にあまりに安いステッキを購入してしまうと、ステッキへの正しい評価が出来ないだろうし、それこそ「安物買いの銭失い」になりかねないので要注意だ。
ステッキの適正な長さ(目安)を知る
ステッキの適正な長さの目安は、一般に次の式で求められる。
身長÷2+2または3cm
これは体格や体型(なで肩・いかり肩)、腕と足の長さ、歩行姿勢によって人それぞれステッキの適正な長さがあると思うが、参考になるだろう。
中高年になると自分の正確な身長がいくつなのか分からなくなるものだが、「大体こんな程度」でそんなに問題ない。
計算が面倒の人のために、「杖の長さ計算」のリンクを紹介しておく。
身長を半角数字で入力して「計算」をクリックすると、ステッキの長さを計算してくれる。
厳密には自分の身長以外にも、靴の高さによっても適正なステッキの長さは違ってくる。
例えばアラフォーぐらいの長身の女性が、ハイヒールを履きながらイカしたステッキで颯爽と歩いていたら、さぞ素敵で注目の的になると思うが、その場合はヒールの高さをステッキの長さに考慮しなければならない。
なお、自分の身長が正確に分からず、どの程度の長さのステッキが良いのか分からない場合は、伸縮式のステッキを購入して自分に合う長さに調節し、使ってみることをオススメする。
ライフスタイルに合わせたステッキを選ぶ
平日や休日の過ごし方や、外出(買い物でもいい)の頻度とその交通手段(徒歩・自転車・バイク・車)といったライフスタイルに合わせたステッキを選ぶことが、意外に重要だ。
都市部やその近郊に住んでいて、通勤や普段の外出が徒歩・バス・電車の利用が多い場合は、伸縮式のステッキや、長さが固定の「一本杖」と呼ばれるステッキが良いだろう。
郊外や地方に住んでいて、通勤や普段の外出がバイクや車がメインの場合、または休日にツーリングやドライブで出かける事が多く、出かけた先でステッキを使いたい場合は、小さく畳んでバイクや車に積むのが楽な(バッグ等にも入れられる)、折りたたみ式のステッキの方が良いかも知れない。
折りたたみ式のステッキでも伸縮するステッキもあるので、ステッキの長さが心配な場合でも安心だと思う。
ちなみに、「ステッキホルダ」で検索すると様々なタイプの製品がヒットするが、その多くが車椅子やセニアカー(シニアカー)向けのステッキホルダだったりする。
しかし、そういった製品でも中には工夫すれば自転車や、125ccぐらいまでのスクーターに応用が出来そうだ。
ただし、安全面のことがあるので、やるとしても自己責任ではある。
お洒落で素敵なステッキライフのススメ
繰り返すが私は1~2ヶ月もすれば不要になるだろうと、身長だけは無駄にデカいので(183cm)一番長く伸縮するステッキで、一番安い物でいいと思ってAmazonで購入した。
確かに最初の1ヶ月ぐらいはステッキがないとヨタヨタして真っ直ぐ歩けないほどだったが、体調と体力が回復するにつれ、ステッキを持って外出するのが楽しくなった。
購入したステッキそのものに不満はなく、ハンドルはグリップが柔らかく握りやすくてストラップも付いているから便利だし、シャフトがアルミ製だから軽くて使いやすい。
ただ、色が気に入らない。青なんだが、私が好きな色は黒だし、この青色がどうにも派手で私の好みには合わないのだ。
私は自分の好みに合わないモノは持ちたくない人間で、ついに我慢がならなくなって同じシリーズ(この「スポーティタイプ」の意味するところが謎だが)の黒をAmazonで検索して購入した。
このステッキは万人にオススメ出来る製品で(私のように色に好みはあるとは思うが)、最初に購入するステッキとしても、とても良いと思う。
私が気に入らないのは色だけだったから、最初に買ったステッキよりちょっと高かったものの、すっかり満足してこのステッキを振り回しながら、買い物や散歩その他で外出して楽しんでいた。
しかし、思いもしない別の問題が発生した。
バスや電車に乗ると、高確率で親切な人から席を譲られる。
こちらとしては「私は歩行が困難でステッキを持っているんじゃないんですよ、伊達や酔狂の趣味なんです」と、大変申し訳なくなってしまう。
偏見とまでは言わないし、私を見てまさか高齢者だとは思わないだろうが、やはり「ステッキ=足腰が悪い歩行困難者」と思われてしまうようだ。
それは仕方がないとはいえ、私のステッキのデザインが医療や介護用のステッキと大きく違わないから勘違いされるのでは? と、仮説を立ててみた。
だとすると、お洒落で素敵なデザインのステッキであれば席を譲られそうになっても断りやすいし、問題がないのではないか。
Amazonだとどうも、購入したステッキと似たような製品ばかりだから、専門店が出店している楽天で探してみた。
すると、コレだ!と思うステッキがあった。
このステッキなら医療・介護用のそれとは明らかに違うし、色もデザインも気に入った。
材質を問い合わせたらハンドル部分が真鍮で、シャフトはインディアン・ローズウッド(インドやパキスタン、ネパールなどのヒマラヤ山脈周辺原産のローズウッドで、ローズウッドの中では最も高級とされている)でインドでのハンドメイド品とのことだ。
実際に購入したステッキが届いてみると、アルミ製のシャフトとは違うズシリとした重量感があり、ハンドルの真鍮部分の質感と相まって持ち歩く喜びが実感できる。
このステッキを見るだけで、「ちょっとそこまで散歩に出ようかな」という気になるから不思議だ。
お洒落で素敵なステッキにオススメのアクセサリー
私が購入したステッキが正にそうだが、ハンドルが丸い上にストラップもないため、ちょっと実用性に欠ける。
外出先で買い物をした時や外食する時に両手が使えないし、ステッキをちょっと立てて置くことも出来ない。
そこで、私が購入したステッキクリップホルダをオススメしておきたい。
画像のように、次のステッキクリップホルダを装着しているとストラップが使えるし、テーブル等にステッキを立てて置くことが出来て便利だ。
それとやや蛇足気味ではあるが、ステッキの先端のゴム(替えゴム)としてはちょっと値段が高いものの、これは買って良かった。
グリップ力があって滑りにくいのもそうだが、今までの「コツコツ」音が消えてステッキの突き心地が格段に良くなった。
私はグレーを購入したが、ステッキの色やシャフトの材質によっては、青やオレンジなんかは差し色になって、足元をより映えさせてくれるだろう。
なお、ステッキのシャフトの太さ(大体は16mmか19mm)を確認して購入しないと無駄になってしまうので、注意が必要だ。
おわりに
坂口安吾は1930(昭和05)年の24歳からステッキを持ち、1955(昭和30)年に48歳で急逝するまで生涯ステッキを愛用した。実際に安吾の作品には「ステッキ」(あるいは「杖」)が割と多く登場する。
それに対して太宰治の場合は、急性盲腸炎の手術後に腹膜炎を併発して重体になり、患部の苦痛を訴えて使用したパビナールが常習化してしまった、いわゆる「船橋時代」でのみステッキを使っていただけのように思われる。
よくよく考えてみるに、太宰はパビナール中毒と芥川賞への失望、それに処女作品集『晩年』出版の失意の連続で心身ともに疲弊して弱っていたのが船橋時代だ。
確かに最晩年の太宰は肺結核が再発していたし、応じきれないほどの作品の執筆と周囲への酒宴の饗応、その酒宴の中で太宰自身の過大なサービス精神の発揮等で心身ともに疲弊して弱ってはいたが、その時は山崎富栄がいたからステッキを持つ必要がなかった。文字通り、富栄が太宰の身体を支えるステッキ以上の役割を果たしていたのだから。
太宰の船橋時代は1935(昭和10)年から翌1936(昭和11)年の1年ちょっとの間だが、恐らくこの期間しかステッキを持たなかったのではないか。
太宰にしてみれば、「私は人より少し背が高いので、どのステッキも、私には短かすぎる」(「服装に就いて」)という理由もあっただろう。
私事だが、私は今年の8月に自宅でとうとう動けなくなってしまい、病院に救急搬送されて強制入院になり、3週間ほどベッドから一歩も出ることが許されない有り様だった。
重篤な内臓疾患で今もそれは現在進行形だが、こんなに理不尽な療養と長期にパソコンが使えずタバコが吸えない事が今までなかったため、あまりのストレスで医師と看護師の猛反対を押し切って無理に退院したのだった。
無理やり自宅に帰っても病気のせいで毎日が辛く苦しく、本当に心身ともに弱り果てて救急車で病院へ元通りに帰って来てしまったが、その際に愛用していたステッキは忘れずに持参して再入院した。
再入院した時は、いくらステッキがあろうとマトモに歩けない状態で、病院内ではしばらく車椅子に乗って看護師さんに押してもらっていたが、徐々に回復してやがて車椅子からステッキに戻った。
太宰と私の場合では状況からして大きく違うが、無理にでもステッキを使わねばならなかった太宰の心情は、理解できた気がした。
私はこの歳になって大病を得てステッキを持つに至ったが、生涯ステッキを手放さなかった安吾の気持ちと、恐らくステッキを持ったのは船橋時代だけだったであろう太宰の心情を、身を以て理解したような気がしている。
今の私は歩行にステッキの必要はまったくないが、一度ステッキの良さを知ってしまうと、安吾と同じで手放す気にはならない。
確かにファッションには流行があり、お洒落アイテムとしてのステッキはとっくの昔に時代遅れで、今や高齢者や足腰が悪い歩行困難者の実用品なのかも知れないが、ステッキ一本持つだけで見える世界が変わるのなら、そういった変化を歓迎して楽しむべきだと思う。
それに年齢を重ねれば重ねるほど、人生の変化は乏しくなっていくようだ。
だからお洒落で素敵なステッキを持って散歩を楽しむぐらいの変化はあってもいいし、むしろそういう変化を求めた方が良い。しかも散歩なら無駄に金銭を浪費することもなく、健康にも良い。
特に私のように部屋に閉じこもりきりで、読書したりパソコンばかりいじって運動をする習慣がない人間は、気に入っているステッキがあるだけで外出しようと思うモチベーションになる。
参考文献
- 新潮日本文学アルバム 19 太宰治(新潮社・1987(昭和62)年05月15日 11刷)
- 新潮日本文学アルバム 35 坂口安吾(新潮社・1990(平成02)年05月15日 4刷)
- 坂口安吾デジタルミュージアム