令和の今だからこそ読みたい「ガルシアへの書簡」(全文)

かなり前に城山三郎の『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』を読み、言葉で言い表せないほどにひどく感銘を受けた。
ともかくこの本はぜひ親しい友人に読ませなければ!と思い、10冊ほど書店に注文して友人に郵送で送りつけるという、謎な行動を起こしたことがある。
それはともかく、同書の中で「ガルシアへの書簡」の全文が引用されていたので、それをテキストに起こして保存し、何年かに一度チラと読んでは自戒するようなことをしている。
そこである思いつきがあり、ブログ記事に起こそうと思ったのだ。

ガルシアへの書簡(全文)

 キューバがらみでいえば、私の記憶の地平線に、近日点の火星のように輝くひとりの人物がいる。米西戦争が勃発したとき、反乱軍の指導者と直に連絡をとる必要が生じた。ガルシアはキューバのどこかの山塞(さんさい)にいる。どこであるかは誰も知らない。郵便や電報が届くはずもなかった。
 大統領は彼の協力を得なければならない。早急に。
 どうすればいいのか!
 ある人が大統領に言った。「ガルシアを見つけられる人がいるとしたら、それはローワンという男でしょう」
 ローワンが呼ばれ、ガルシアへの書簡が託された。「ローワンという名の男」がどのようにしてその手紙を受け取り、油紙の袋に入れて密封し、心臓の上にくくりつけ、四日後に夜陰に乗じて小さなボートでキューバの海岸に上陸し、ジャングルに消え、敵国を徒歩で縦断し、ガルシアに書簡を届け、三週間後にこの島国のもう一端の海岸に現れたかを、ここで詳しく話すつもりはない。私が強調したいのは、マッキンレー大統領がローワンにガルシアへの書簡を託したとき、ローワンはその書簡を受け取って、「彼はどこにいるのですか?」と尋ねなかったことである。
 この人こそ、その姿を不滅の青銅で象(かたど)り、その像を全国の大学に設置すべき人物だろう。若者に必要なのは机上の学問でも、それこれの指示でもなく、背骨を真直(まっす)ぐにのばしてやることである。そうすれば信頼に応え、迅速に行動し、精力を集中して、任務を遂行するだろう。ガルシアに書簡を届けるだろう。

 ガルシア将軍はすでに世を去ったが、ガルシアはほかにもいる。多くの人手を必要とする大事業を遂行しようとしたことのある人なら、きっと平均的な人間の無能さに愕然とした経験があるだろう。ひとつのことに集中して、それを遂行する能力、あるいは意欲がない。
 ずさんな手助け、愚かな不注意、なげやりな無関心、それにうわの空の仕事がお定まりらしい。騙したり、すかしたり、脅したりして、他人の手助けを強要するか、金で買うかしないかぎり、あるいは恵み深い神が奇跡を行なって、光の天使を手助けに送ってくだされないかぎり、誰も成功は望めない。
 読者諸氏よ、試してごらんなさい。あなたはいまオフィスにいて、六人の部下が近くにいる。そのなかの誰かひとりを呼んで、頼む。「百科事典で調べて、コレッジョの生涯について簡単なメモを書いてくれないか」
 その部下は静かに「はい」と答えて、仕事にとりかかるだろうか? 決してそうはしないだろう。きっと怪訝(けげん)な顔をして、つぎのような質問をひとつか二つするだろう。
 どんな人ですか?
 どの百科事典でしょう?
 ビスマルクのことではありませんか?
 チャーリーにさせてもいいんじゃありませんか?
 過去の人ですか?
 お急ぎですか?
 その本を持ってきますから、ご自分でお調べになりませんか?
 なんでお知りになりたいのです?
 あなたがその質問に答えて、その情報の求め方や、あなたがそれを求める理由を説明したあと、その部下は十中八、九、ほかの部下のところへ言って、ガルシアを見つける手伝いをさせるだろう。それからあなたのところへ戻ってきて、そんな人物はいない、と言うだろう。もちろん私はこの賭けには負けるかもしれないが、平均の法則に従えば、負けないはずである。
 もしあなたが賢明なら、「補佐役」にコレッジョの見出しはKではなく、Cであると、わざわざ説明したりしないで、優しい笑顔を見せて「もういい」と言い、自分で調べるだろう。この自主的に行動する能力の欠如、精神的な愚鈍さ、意志の軟弱さ、進んで快く引き受けようとしない態度のために、本物の社会主義者がなかなか現れないのである。自分のためにさえ行動しようとしない人たちが、全員の利益のために、どれほどの努力をするだろうか?

 節だらけの棍棒(こんぼう)を手にした副社長もひとりは必要だろう。土曜日の夜に「首」になるのが怖いばかりに、おとなしくしている労働者が多いからである。タイピストの求人広告を出せば、応募者十人のうち九人までが、ろくに綴(つづ)りを知らないし、句読点も打てない。しかも、そういうことを知らなくてもいいと思っている。
 そんな人がガルシアへの手紙を書けるだろうか?
「あの出納係ですが」と、ある大きな工場で監督が言った。
「彼がどうかしたかね?」
「会計係としては有能ですが、街へ使いにやると、いつもというわけではありませんが、途中で四軒の飲み屋に寄り、目抜き通りにたどりついたときには、何の用で来たのか忘れていることがちょいちょいです」
 こんな人にガルシアへの書簡を託せるだろうか?
 私たちは近ごろ、「虐げられ、搾取されている労働者」や「まともな職を求めてさまよう、よるべのない人びと」に対する感傷的な同情を耳にする。それにはたいてい、経営者に対する厳しい言葉がつきものである。
 だらしのない役立たずの連中に気の利いた仕事をさせようと、むなしく奮闘して年齢不相応に老け込む雇い主。彼が背を向ければさぼることしかない「手助け」を得るために、長年、忍耐強く努力を重ねている雇い主。こうした雇い主たちに対しては言うべき言葉もない。どの店でも工場でも、除草は常に行われている。雇い主は、事業の繁栄に役立つ能力のない「手助け」を絶えず解雇して、代わりを採用しているのである。
 どんなに景気がよくても、この取捨選択は続く。ただ、不況で職が少なくなると、その選択が厳しくなって、無能で役に立たない人は、職を追われて、そのままになってしまう。適者生存の原理である。どの雇い主も自分の利益のために、最も優れた人材、ガルシアへ書簡を届けられる人たちを残そうとするからである。

 私の知っているある人は、非常に優れた資質をそなえているが、自分で事業を経営する能力はない。さらにまた、他人には全く役に立たない。雇い主が自分に不当な圧力を加えている、あるいは加えようとしている、という異常な猜疑心(さいぎしん)を常に抱いているからである。彼は命令を下すことができず、受ける気にもならない。ガルシアへの書簡を託されたら、その返事は恐らく、「自分で届けろ!」だろう。
 この男は今夜も職を捜しながら街を歩いている。風がそのすり切れたコートを通してひゅうひゅうと鳴っている。彼を知っている人は雇おうとはしない。常に人びとの不満を煽るからである。彼には道理が通じない。彼に印象を与えるためには、底の厚い九号のブーツの爪先で一蹴(いっしゅう)するしかないだろう。
 これほど異常な性格の持ち主は、憐れむべきだろう。しかし我々は、大事業の経営に努め、終業ベルが鳴っても仕事の終わらない人たちにも、一滴ぐらい憐れみの涙をこぼそうではないか。なげやりで冷淡な連中、だらしのない無能な連中、そして恩知らずの連中を統率する苦労で、早々と白髪になる人たちのためにも。彼らの事業がなければ、この連中はみな、饑(う)えて、住む家もないだろう。

 私は言葉が過ぎただろうか? そうかもしれない。この人たちは、勝ち目の乏しい戦いに挑んで、人びとの努力を促し、勝利を収めながら、何も得るところがないのである。住むところと、着るものしかない。私は弁当持ち出しで出社し、日々の給料分の仕事をしてきた。同時に、人も雇っているので、両方について言えることがある。貧困そのものには、何の利点もない。襤褸(ぼろ)は褒めるべきものではない。そしてすべての貧しい人たちが高潔とは限らぬように、すべての雇い主が強欲で高圧的であるとは限らない。
 私が心を惹(ひ)かれるのは、「上司」がいるときにはもちろん、いないときにも勤めを果たす人である。そして、ガルシアへの手紙を渡されたら、黙ってその信書を受け取り、愚かな質問をせず、すぐさま下水に捨てたり、そのほか、届けないで処分したりする気を起こさない人は、決して「一時解雇」を受けないし、賃金の値上げを求めてストをする必要もない。文明はそのような人びとを捜し求める長い過程である。
 そのような人の願いは何でも聞き入れられるだろう。そのような人はどこの都市でも、町でも、村でも、必要とされるだろう。どこの事務所でも、店でも、工場にも。世界中がそのような人びとを呼び求めている。「ガルシアへの書簡を届けられる」人物は、非常に必要とされているのである。

ガルシアへの手紙

ガルシアへの手紙

エルバート ハバード
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簡単な解説

ガルシアへの書簡」の冒頭に米西戦争とあるから、世界史に詳しい人ならピンと来ると思われる。
南北戦争が終結した当時のアメリカは、大陸西部への開拓を進める一方で、外交的に「カリブ海政策」をとっていた。
カリブ海をアメリカの内海にして軍事的かつ政治的に支配し、ヨーロッパ各国からの干渉に抵抗するためである。
当時スペイン領だったキューバは、その圧政に対して独立運動が起こっており、アメリカは自国の政策からキューバを支援し、スペインとの対立を深めて行った。
そんな中で発生したのがメイン号事件で、それを端緒に米西戦争となった背景がある。
その米西戦争のさなか、アメリカのマッキンリー大統領(掲載文書では「マッキンレー大統領」)は、蜂起したキューバ人反乱軍から協力を取り付けるため、そのリーダーであるガルシアに緊急で一通の書簡を届ける必要があった。
そこで、ローワンの登場と相成るワケである。
米西戦争はたった4ヶ月でアメリカの勝利で終わるが、その翌年にアメリカの雑誌にこの「ガルシアへの書簡」が載り、たちまち大評判となる。
どのくらい評判になったかと言えば、アメリカ海軍の全兵士、全米のボーイスカウトがこの「ガルシアへの書簡」の冊子を手にしたと言われている。
それがどういうワケかロシア語に翻訳され、日露戦争の時に前線に向かうロシア兵はこの冊子を携えていたそうだ。
日露戦争中、日本軍はロシア兵の捕虜から没収した冊子の数があまりに多いので、直ちに翻訳することにした。
明治天皇はこの冊子の翻訳を読むや、武官・文官を問わず官吏全員に一部ずつ与えよと勅命を下したのである。
この「ガルシアへの書簡」(書籍としては『ガルシアへの手紙』としてをられる)の著者はエルバート・ハバードで、わずか1時間で書き上げたと言われている。
英語・ロシア語・日本語の他に、ドイツ語・フランス語・スペイン語・トルコ語・ヒンズー語・支那語その他、世界各国の言語に翻訳された名文である。

おわりに

昨日、たまたまある保守系団体の代表とチャットで会話をしており、様々な意見交換をしていた。
定期的にセミナーを実施している団体だし、私は「教育は国家百年の計」だと信じて疑わない人間なので、昨今の(歴史認識を含め)教育の質と学力の低下を共通認識として持っている
それに私の経験値から、保守系活動家のITレベルと業務遂行能力の低さを痛感しているので、セミナーを通じて「教育」が出来ないか?という話になった。
そこから楽しいブレストになったが、やるとなれば仲間を集めないと中々難しい。
そこで、メンバーになり得る人は他にいないだろうかと尋ねたら、「口を動かす人は多いが、手を動かす人は少ない」とのこと。
ううむ、やはり実務家より評論家がムダに多いのは世の常だなと思ったが、同時にこの「ガルシアへの書簡」を思い出したのだ。
令和の御代となった今こそ、この「ガルシアへの書簡」が広く読まれ、日本人は襟を正すべきだろう!そう思うのだが、どうだろうか?

 

 


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