突然だが、私が城山三郎の『臨3311に乗れ』(近畿日本ツーリストの創業時からの伝記的実話小説)を初めて読んだのは、確か26~7歳の頃で、大検を突破して第一志望の大学に合格したか、入学してからだったと思う。
その1年ほど前に旅行業界向けの業務パッケージシステムの開発をしていて、一緒に仕事をしていた元大手旅行代理店出身者に勧められたからだ。
読み始めると大変に面白く、それこそ寸暇を惜しんで貪るように読んだ。
それまで読む本と言えば(マンガを除けば)近代文学関係か、資格取得用の参考書ぐらいであったから、大学の商学部で学ぶという新世界と共に、読書の世界も同時に広がった。
大学では2年次に「基礎演習」という、3年次以降のゼミの予行演習のような必修科目があり、教授とその演習テーマが選べたので、戦前からの自動車産業史をテーマにしていた基礎演習を履修した。
この基礎演習を担当した老教授はかつて日米貿易摩擦の際、母校の教授ながら日本政府の立場で、当時クライスラー会長であったリー・アイアコッカとも直接やりあった経歴の持ち主であった。
この教授は授業中にちょいちょい学生(私を含めて全部で数名程度だが)を近所の喫茶店に連れ出し、コーヒーをご馳走してくれながら、よく昔話を語ってくれたものだ。
ゆえに、基礎演習の内容はサッパリ思い出せないが、古本屋で『アイアコッカ--わが闘魂の経営』を見付けて購入するキッカケになった。
分厚いハードカバー本だが購入して読むや、たちまち夢中になってしまった。今まで何度読み返したか分からないほどである。
ところで・・・ここ2ヶ月ほど、どうもやる気と集中力が続かない。
加齢のせいか?と思わなくもなく、しばらくゆっくりペースで流していたのだが、常に心が泡立つようで、集中力が途切れてしまう。そして「よし、やるぞ!」というモチベーションが続かない。
それが仕事だけでなく、自分が趣味として楽しんでいるプログラミングや、運営サイトの記事原稿を書いている際も同様で、ちっとも進捗が上がらずに時間ばかりが無駄に過ぎてしまう。
なぜだ?
ずっと自問自答していたのだが、どうやら精神的に参っているのか、不安定になっているようだ。
不眠とは逆で、このところ過眠することが増えた。土日などは前日に酒を呑んでいなくとも、一日中寝ている場合があったりする。
そんなに疲れているのか?or体力が落ちたか?と訝しんだが、過眠もうつ症状のひとつである。そう考えると、思い当たるフシがある。
新型コロナワクチンだ!
私がワクチンを接種したという話ではなく、ワクチン推進派と反ワクチン派との、どうしようもない分断だ。それに、SNSで知人がワクチンを接種したと知った時の遣る瀬無さはない。
私はハッキリ言って反ワクチン派だが、ソースがネットではあるものの自分なりに調べ、自分なりの考えを持つに至っている。
ところが日本政府以下、既存メディアやネット記事、SNSでも「ワクチンは接種すべき」という論調が強く、特にSNSでは「ワクチン接種が正義」とばかりに高圧的な失礼さで反ワクチン派をバカにし、貶める言動すらある。
ところが私が見たところ、ワクチン推進派が示す意見とエビデンスに、どうも納得が行かない。その納得が行かないヤツ等に好き勝手にされ、判断力がない子供にまでワクチンを接種させたり、ワクチンパスポート導入の法改正をさせて良いのだろうか?
反論しようにも私は医師やワクチンの専門家でもないから、医学や免疫学的な理論の裏打ちのある反論など出来ようハズがない。
そこでふと、若きリー・アイアコッカに、その師で上司であるチャーリー・ビーチャムが言った言葉を思い出した。
「リーよ、よく覚えておけ。人間としてやってくためには、常識と思考力がなくちゃならんのだ。人間がサルより偉いのは、その二つだけだ。馬のほうが人より強いし、犬のほうが言うことをよく聞く。だから、馬のフンとバニラ・アイスクリームの見分けのつかんヤツは、絶対に成功しないのさ。ま、そういう連中が多いけどな」
出典:リー・アイアコッカ(徳岡孝夫訳)『アイアコッカ--わが闘魂の経営』
(ダイヤモンド社・昭和61年11月20日 81版発行)p49より引用
私は畢竟、専門家会議が、厚労省が、日本政府が、マスコミが、ウソを言って人体実験ワクチンを国民に広範囲に打たせるハズがない、反ワクチン派が言っているのはデマで、陰謀論だ、とする絶賛思考停止中のこの世相に腹が立ってしょうがないのだ。
恐らくワクチン推進派は「日本だけじゃない、世界中でワクチンを接種しているではないか」と言うかも知れない。
だから、なんなんだ。それがどうした?
「バイオンテックがmRNAワクチンを10年も前から研究・開発していて、それをコロナ禍でファイザーと一緒に開発してワクチンを作った」とする意見もあるようだが、だから、なんだと言うのだろう?
昨年は新型コロナを「未知のウイルス」だとして世界中で大騒ぎをし、日本ではマスクや消毒液、それにトイレットペーパーまでもが店舗から消えたではないか。現在でも緊急事態宣言・まん延防止等重点措置中という有様だ。
それから1年もしないで「ワクチンが出来ました」と言われて、「はい、そうですか」と言う方がどうかしている。ましてや「ワクチンさえあれば」的な言説はバカ丸出しだし、「恥ずかしくないのか?」と見聞きしているこちらが恥ずかしくなってしまう。
いずれにせよ、新型コロナワクチンとしてはまだ1年程度しか経過していない事実は覆しようがないではないか。そしてワクチンの副反応とみられる重篤な症状や、死亡例が日本のみならず世界中で報告されている。それでもワクチンを推進したい意図とは、一体なんだろうか?
・・・続けて、チャーリー・ビーチャムはこうも言っている。
「忘れるな、だれでも失敗をする。ただし、自分の失敗を認めない男が多い。自分のせいではないと、言い逃れするのだ。女房のせいだ、いや情婦のせいだ、子供が悪い、飼い犬が悪い、お天気が悪い・・・・・・口実ばかり発明する。失敗しても弁解するな。鏡を見ろ。そこに責任者が映っておるわ」
出典:リー・アイアコッカ(徳岡孝夫訳)『アイアコッカ--わが闘魂の経営』
(ダイヤモンド社・昭和61年11月20日 81版発行)p49より引用
果たして戦後の日本の政治家で、または官僚やマスコミで、「弁解をせず鏡を見た」(責任を取った)人があったろうか。
ましてや人類初のmRNAワクチンを、史上初の規模で接種している。
もし、仮に何らかの薬害が5年、10年、あるいは15年後に発生したとして、一体誰が責任を取れると言うのだろう?
私からすれば、ワクチン推進派は最初から論理破綻しており、彼らが提示しているエビデンスも、素人の私からしたところで納得が行くものとは思えない。それなのに、医師免許を持つ大多数の人達までもが思考停止とは、本当にどうなっているのか。
それでも先日、ミラノにある分子腫瘍研究所に所属しておられる、分子生物学者で免疫学者の荒川央博士のnoteを発見し、その記事を読むと「まだ希望はある」とは思えるのだが。
ともあれ、ワクチンを打って苦しんで死ぬ自由があり、更にワクチンパスポートを法整備するのなら、一緒に法改正して自殺も合法にしてくんねぇかな。
いっそ、自決・自裁用に手榴弾か拳銃に実弾1~2発を支給してくれた方が、よっぽど気が利いているというものだ。
そんな一日だった。(´ー`)y-~~oO
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