孤独と実質の魂が見たものとは~安吾忌に寄せて

2月17日の今日は、坂口安吾安吾忌である。
が、昨年に引き続きコロナ茶番・ワクチン禍にあって、去る1月15日に「安吾忌中止のご連絡」がメールで届いた。
昨年は開催の可否をメールで問い合わせたのだが、私以外にも同様の問い合わせがあったに違いなく、昨年1月頃ぐらいまでの坂口安吾デジタルミュージアムでは、私を含め「誰も見ない」サイトのままであったから、同サイトで告知しても誰も知らなかったと思われる(:現在は公益財団法人新潟市芸術文化振興財団がサイトを刷新して運営しており、コンテンツも充実している)。
安吾忌中止のご連絡」の内容としては、桐生での「安吾忌」初開催や、「安吾の愛したサティの歌を聴く」等の企画があり、実現したかったが「身内のみで粛々と行うこととなりました」とある。
昨年は安吾の未発表作品「残酷な遊戯」(未完の上、原稿にタイトルはなかった)が発見され、『残酷な遊戯・花妖』として安吾忌の日に出版されたからまだしも、2年連続で安吾忌が開催されないとは、仕方がないとは言え、残念にもほどがある
そこで、安吾忌で一杯やれないが開催されない残念さを駄文によって発散してみようと思う。これも安吾を偲ぶといった意味では、「独り安吾忌」となるだろう。

太宰を母と慕い、安吾を父と畏怖しながら尊敬した青春

私ごときの読書遍歴などは他愛もないモノで、どこにもニーズはないと思うが、話の筋として一応、書いておく。
小3~4年生頃は小学生向けの偉人の伝記を読むのが面白く、特に豊田佐吉の伝記には深く感動し、何度も繰り返し読んだ。それが元で今でもトヨタ自動車のファンだが、当時まだ存命していた松下幸之助の伝記は「生きてる人の伝記は変だ」と思い、本人が死んでから読んでも遅くない、なんて思っていた。
無論、エジソンキュリー夫人といった西洋の偉人の伝記も読んでいたが、例えば斧で桜の木を切ったワシントン等、読み物としては面白いものの、人物に関してはちっとも興味がなかった。
時代的に松本零士先生の「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」が一世を風靡しており、私も「銀河鉄道999」に熱狂したクチではあるが、ガチな松本零士ヲタクになったキッカケは、若桜木虔による『銀河鉄道999』のノベライズ文庫を読んでからだった。

同時並行的にアーケードゲーム機の「ブロック崩し」や「スペースインベーダー」等にハマり、ラジオを聴いたり電子工作で組み立てたりしており、そんな中でパソコンを知るや、たちまち夢中になってしまった。
それが元で中2になると地元のソフトハウスや、北坂戸にあったマイコンクラブとその関係のソフトハウスに出入りするようになる。
間もなく本格的に学業を放棄し、中学に通う代わりに自室でパソコン雑誌を読んでは、プログラムばかりを作るようになった。
私なりに、迫りくる高校受験の重圧と、父が病床に伏している家庭の暗さから逃げていたのだと思うが、当時は今と違ってパソコンは一部のマニアのモノか、先進的な会社の事務機器でしかなかった。
プロのプログラマになりたいものの、どうやったらなれるのか、学校の勉強はとっくについて行けなくなっているから無理だろう、正に八方塞がりの中、通い慣れた古本屋で太宰治の『人間失格』に出会った。
以来、未だにずっと熱心な太宰ファンであり続けているのだが、高校に進学して坂口安吾の「ふるさとに寄する讃歌」を知ると、太宰の場合と同様に貪り読んだ。
太宰文学は中学生でも平易で読みやすく、そして読者を楽しませるユーモアがあって親しみやすい。
ところが安吾の文学となると、特にエッセイは読みやすいし親しみやすいが、小説となると複数のジャンルで書いているし、自伝的な『風と光と二十歳の私と』といった一部の作品を除くと、高校生でも理解するのに骨が折れる。
私の場合は高校生活が2学年3学期の終了を待たずに終わり、すぐに正社員となって社会に出たが、10代から20代は太宰を優しい母と慕い、安吾を畏怖しながらも頼もしい父と慕うような青春だった。
特に20代の終わり頃にうつ病を発症してからは、安吾の文学にどれだけ救われたか知れないほどで、大げさでも何でもなく、私の精神的支柱は太宰と安吾によって作られたと言って良い。

安吾の孤独と実質とは?

安吾ほど、孤独について肯定的に作品を書き、また、自身の精神病を作品に書いた作家もあるまいと思う。不思議なことにどちらも現代人には忌み嫌われ、全否定されているのに、今でも読者がいる。
なぜか?
安吾太宰に比べれば長命だったし、その分作品も多く、色々な作品で孤独や自身の精神病について書いているが、とりわけ孤独と恋愛については、「恋愛とはいかなるものか、私はよく知らない。そのいかなるものであるかを、一生の文学に探しつづけているようなものなのだから」の書き出しで始まる「恋愛論」が一番分かりやすいように思う。
私が重要だと思う、末尾の部分を引用してみよう。

 人は恋愛によっても、みたされることはないのである。何度、恋をしたところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、恋なしに、人生は成りたたぬ。所詮人生がバカげたものなのだから、恋愛がバカげていても、恋愛のひけめになるところもない。バカは死ななきゃ治らない、というが、われわれの愚かな一生において、バカは最も尊いものであることも、また、銘記しなければならない。
 人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。

出典:坂口安吾恋愛論
初出:『婦人公論』第三巻第四号・1947(昭和22)年04月01日発行

この「孤独は、人のふるさとだ」の意味するところとは、一体なんであろうか。
私は文芸評論家でもなければ、安吾文学の研究者でもないから、正確に「コレだ」とキッパリ断言できないのだが、ヒントは「ふるさとに寄する讃歌」や、直接的かつ具体的には「いづこへ」と「日本文化私観」にあると思っている。
まずは「いづこへ」を、ちょっと長いので途中を端折りながら引用してみよう。

 私はみすぼらしさが嫌いで、食べて生きているだけというような意識が何より我慢ができないので、貧乏するほど浪費する、一ヶ月の生活費を一日で使い果し、使いきれないとわざ/\人に呉れてやり、それが私の二十九日の貧乏に対する一日の復讐だった。
(中略)
 私は食うために働くという考えがないのだから、貧乏は仕方がないので、てんから諦めて自分の馬鹿らしさを眺めていた。遊ぶためなら働く。贅沢のため浪費のためなら働く。けれども私が働いてみたところでとても意にみちる贅沢豪奢はできないから、結局私は働かないだけの話で、私の生活原理は単純明快であった。
 私は最大の豪奢快楽を欲し見つめて生きており多少の豪奢快楽でごまかすこと妥協することを好まないので、そして、そうすることによって私の思想と文学の果実を最後の成熟のはてにもぎとろうと思っているので、私は貧乏はさのみ苦にしていない。夜逃げも断食も、苦笑以外にさしたる感懐はない。私の見つめている豪奢悦楽は地上に在り得ず、歴史的にも在り得ず、ただ私の生活の後側にあるだけだ。背中合せに在るだけだった。思えば私は馬鹿な奴であるが、然し、人間そのものが馬鹿げたものなのだ。
(中略)
 食器に対する私の嫌悪は本能的なものであった。蛇を憎むと同じように食器を憎んだ。又私は家具というものも好まなかった。本すらも、私は読んでしまうと、特別必要なもの以外は売るようにした。着物も、ドテラとユカタ以外は持たなかった。持たないように「つとめた」のである。中途半端な所有欲は悲しく、みすぼらしいものだ。私はすべてを所有しなければ充ち足りぬ人間だった。

出典:坂口安吾いづこへ
初出:『新小説』第一巻第七号・1946(昭和21)年10月01日発行

いづこへ」は、安吾が28~29歳当時を回想した自伝的作品だが、原稿を書いてもほとんどお金にならない三文文士の落伍者であることを強烈に意識しつつ、自分自身を何ひとつ書き残せておらず、仕事への自信を持ち得ていなかったことが分かる。
安吾のように「全てを所有するか、無一物か」といった、all or nothingの考え方は極端に思われるかも知れない。
しかし、女を所有してしまったばかりに、自分の魂をイタズラに堕落せしめ、書き残したい自身の文学に向き合う孤独を失い、最後にこう結んでいる。

 私は息をひそめ、耳を澄ましていた。女達のめざましい肉欲の陰で。低俗な魂の陰で。エゴイズムの陰で。私がいったい私自身がその外の何物なのであろうか。いづこへ? いづこへ? 私はすべてが分らなかった。

出典:前掲書

安吾が生きた時代と現在では時代が違い過ぎるが、どんな仕事でも30歳ぐらいまでは、やはりまだまだ修行の身であって、納得の行く仕事というモノは完成しないのかも知れない。
だから、安吾が35歳(1941(昭和16)年)の頃に執筆した「日本文化私観」は今読んでも古くはなく、その普遍性は現代でも通じる。
本稿はちと引用が過ぎるが、大事な部分なので途中を端折りながら引用したい。

 だから、庭や建築に「永遠なるもの」を作ることは出来ない相談だという諦らめが、昔から、日本には、あった。建築は、やがて火事に焼けるから「永遠ではない」という意味ではない。建築は火に焼けるし人はやがて死ぬから人生水の泡の如きものだというのは『方丈記』の思想で、タウトは『方丈記』を愛したが、実際、タウトという人の思想はその程度のものでしかなかった。然しながら、芭蕉の庭を現実的には作り得ないという諦らめ、人工の限度に対する絶望から、家だの庭だの調度だのというものには全然顧慮しない、という生活態度は、特に日本の実質的な精神生活者には愛用されたのである。大雅堂は画室を持たなかったし、良寛には寺すらも必要ではなかった。とはいえ、彼等は貧困に甘んじることをもって生活の本領としたのではない。むしろ、彼等は、その精神に於て、余りにも欲が深すぎ、豪奢でありすぎ、貴族的でありすぎたのだ。即ち、画室や寺が彼等に無意味なのではなく、その絶対のものが有り得ないという立場から、中途半端を排撃し、無きに如かざるの清潔を選んだのだ。
(中略)
 僕の仕事である文学が、全く、それと同じことだ。美しく見せるための一行があってもならぬ。美は、特に美を意識して成された所からは生れてこない。どうしても書かねばならぬこと、書く必要のあること、ただ、そのやむべからざる必要にのみ応じて、書きつくされなければならぬ。ただ「必要」であり、一も二も百も、終始一貫ただ「必要」のみ。そうして、この「やむべからざる実質」がもとめた所の独自の形態が、美を生むのだ。実質からの要求を外れ、美的とか詩的という立場に立って一本の柱を立てても、それは、もう、たわいもない細工物になってしまう。これが、散文の精神であり、小説の真骨頂である。そうして、同時に、あらゆる芸術の大道なのだ。
(中略)
 見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか。見給え、空には飛行機がとび、海には鋼鉄が走り、高架線を電車が轟々と駈けて行く。我々の生活が健康である限り、西洋風の安直なバラックを模倣して得々としても、我々の文化は健康だ。我々の伝統も健康だ。必要ならば公園をひっくり返して菜園にせよ。それが真に必要ならば、必ずそこにも真の美が生れる。そこに真実の生活があるからだ。そうして、真に生活する限り、猿真似を羞じることはないのである。それが真実の生活である限り、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。

出典:坂口安吾日本文化私観
初出:『現代文学』第五巻第三号・1942(昭和17)年02月28日発行

これは1936(昭和11)年に出版された、ドイツ人建築家のブルーノ・タウト著『日本文化私観』が日本において大評判になったのを受けて、良くも悪くも刺激を受けた安吾が独自の「日本文化私観」を述べた作品だ。
日本の文化と伝統とは、美とは何か、これほどズバリと本質を突いた作品を私は知らない。しかも戦時中に執筆して発表してしまうところに、安吾の時局に迎合しない豪胆さと絶対の自信があるように思う。
かように安吾の作品を分かりやすく引用してみたが、人は自分の人生で叶えたい希望なり、目的なり、理想なりを持っているだろうし、そこまで具体的または大したモノでなく、抽象的であっても「生きる意味」といった実質的な何物かを求めてはいるだろう。
新約聖書マタイ伝にある聖句ではないが、「求めよ、さらば与えられん」であって、自ら進んで求めなければ何も得られないのは自明だが、ただバカのようにクチを開けて与えられるのを待っている人ばかりが多い気がする。
自ら進んで求め、努力するには孤独である必要があるが、これも孤独と孤立を履き違えたまま、リアルでもネットでも誰かとつながり、あまつさえ徒党を組みたがる。なに、理由は簡単で、自分に自信がないからだ。
ゆえに、現代でも安吾の文学やその名言は、時代を超えて「刺さる」のだと思うし、「孤独は、人のふるさとだ」と言えるのだろう。
また、うつ病等の精神疾患は現代病の代表格になりつつあるようだが、安吾のような筋肉質の思想を以てしても(多分に睡眠薬と覚醒剤の多量摂取と大酒によるトリプル役満が指摘できるが)精神病になるのである。偉大な魂ほど、その苦悩は大きく深い
そこで、安吾と精神病に関しても取り上げたいところではあるが、書くとなると長くなり過ぎるため、本稿では省略としたい。

孤独の必要性と実質は一般に理解されない

安吾が「日本文化私観」で必要の美こそが「あらゆる芸術の大道」と喝破したように、無から何かを生み出すあらゆるジャンルの芸術家以外にも、イラストレーターやマンガ家、そして私のようなSEやプログラマといった「クリエイティブな仕事」には、その実質が問われる。
そして何かを新たに創り出そうとすれば、それは常に己との戦いであり、必然的に孤独であることが求められる。

が、芸術家とその芸術作品が一般に理解されないように、私の場合だとITとその人材の有用性と開発するシステムが一般に理解されない、といった問題がある。
特にコンピュータのソフトウェア(プログラム)は実質しか存在せず、プログラムは実際に動く「文学」だ。下手なモノは満足に動かないか、速度が遅かったり、無駄にメモリやディスクといったリソースを浪費するから、文学作品の評価よりは遥かに簡単ではある。
ともあれ、ネット万能の現代においては、ネットで「価値を提供する側」か「価値を消費する側」かに二分されつつあるように思う。
ソフトウェアはパソコン通信の時代からネットでフリーウェアが流通していたが、今や小説といった文芸やマンガは電子書籍として流通し、物理的なあらゆる商品はネットのECサイトで世界中に販売・流通が可能である。
無論、安吾が生きていた時代ですら、全ての文学作品にまんべんなくニーズがあって売れたワケではないし、現代にしたところでネットで流通する「価値のあるモノ」にまんべんなくニーズがあって売れる保証はない。
ただ、現代は非常に複雑で多様な社会に変貌しているから、価値観にしたところで世代によって多岐にわたるようになった。セクシャルマイノリティやらヴィーガンやら、安吾が現代の日本を見たらタマゲること請け合いだ。
実質とは何か?」を問う以前の問題で、すでに多様化した価値観により、世代、学歴、経済力、性的指向、政治信条、等々、また、本当の意味でデジタルデバイドによって日本のみならず世界が細かく分断されている現状では、仮に戦争がない平時であっても、常に生きる事に真剣に向き合わなければ、簡単に命が失われる時代になったと思う。
今現在、世界的なワクチン禍がどのような結果をもたらすのか正確には分からないが、早くて数年以内に何らかの結果や結論は出るだろう。そうでなくとも経済政策ひとつで下手をすれば、簡単に自殺者が増えるのだ。
そういった意味でも、あらゆる正解や人生のロールモデルが明瞭ではないカオスな現代において、ますます太宰治坂口安吾の文学が脚光を浴び、時代を超えて読み継がれることを切望したい。

おわりに

私なりに安吾忌に寄せて、最近考えていることをまとめてみたが、どうだったろうか。
久しぶりに本棚から愛読していた安吾の文庫引っ張り出し、あれこれ開いて色々と読み返してみたが、ついつい読みふけってしまって原稿が中々進まない
それに、改めて読むと書きたいことが次から次へと湧いてきて、考えを整理して記事にするのは骨が折れたものの、こういった安吾忌また一興、と思わなくもない。
個人的に今月の12日に誕生日を迎えたのもあり、若い頃は全然気にしたことがなかったが、文庫の字が小さくて読みにくく、自分の老いをしみじみと感じた
また、『残酷な遊戯・花妖』についても書きたかったが、本稿では紹介するに留めておく。

残酷な遊戯・花妖

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案外、安吾ファンでも『残酷な遊戯・花妖』が出版されたニュースは知らないようだから、本稿によって「安吾でも読み返してみるか」と思っていただければ幸いである。


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