私は、正直に言えばアイデンティ・クライシスに陥り、体調が悪化し、メシも食えず(食べても嘔吐と下痢で苦しめられた)、しまいには外出する体力すら残っていなかった。
今は何とか復活したが、それもこれも、私がマノンと慕う女性の存在が大きい。
そこで、大学生をやっていた頃に、『マノン・レスコー』についてレジュメを切り、授業をやった「西洋文学」の授業を思い出した。
あの当時、どんなレジュメを書いて配布し、授業をやったのか・・・?
先日、このレジュメを発掘したので記事化してみたいと思った。
驚くことに、『マノン・レスコー』についてはオペラ歌劇についての記事しかネットには存在しないようだ。
確かに小説のレビュー記事がないでもないが、どれも私には物足りないし、大学時代の私のレジュメの方が遥かに有用だと思う。
そこで、私が書いた当時のレジュメを読みやすく漢字を改めたり読み仮名を追加し、掲載したい。
相変わらず文章は下手だが、そのまま晒すので読んでみて欲しい。
1. 文学鑑賞のススメ
フランス文学に限らず、文学とは難解で非日常的な代物(換言すれば「自分には全く興味がないモノ」)であると思われるかも知れない。
それは文学が文字言語のみで表現された世界であり、視覚や聴覚に訴える何者をも持っていないからであり、映画を鑑賞するように文学作品を鑑賞することができないからであると思われる。
文章を読み、想像し、筋を理解しながら独り静かに読書するのは、ひとつの知的な趣味であるのかも知れず、それが肌に合わないと考える人が多いのかも知れない。
確かに、文学作品は映像を持たず、臨場感溢(あふ)れる音楽を読み手に提供してはくれない。
しかし、だからこそ、文学は自由であり、永遠でいられるのである。
それは文学が作品の登場人物や場面々々の光景を想像することを許し、作品の行間に込められた臨場感を提供することで、読み手はほしいままに文学を鑑賞し、味わい、楽しむことができるからだ。
自分のペースで何度でも読み返すことができ、理解を深めることができる文学の鑑賞は、単に「面白かった」や「つまらなかった」以上の「何か」を読み手に与えてくれるだろう。
私はこの授業の課題のテーマとして、18世紀フランス文学作品であるアベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』を選んだ。
その理由は単に名作であるだけではなしに、文学作品が読み手に与える「何か」(その多くは自分を含めた人間についての考察であると思うが)とフランス文学の特徴がピッタリとマッチするように思われたからである。
この私の課題発表により、文学について少しでも興味を持っていただけたら幸いである。
2. フランス文学の特徴
フランス人ほど、母国語を美しく正確なものにしようと努力を積み重ね、意識的・意欲的に母国語を美しく豊かに、かつ文章の格調を正しく陰翳(いんえい)をつけようと努めた国民は類を見ないと言われている。
それはフランス語とフランス文学とを古代人たちの言葉や文学に勝るとも劣らないものにしようという、16世紀のプレイヤッド派の詩人たちの「フランス語の擁護と顕揚(けんよう)」(注1)運動や、正しいフランス語の普及に努めるために17世紀に設立され、現在でも活躍している「アカデミー・フランセーズ」(注2)を見ても明らかである。
このように母国語を愛情をもって愛しみ育てているフランスの文学の特徴は、端的に表現すれば「社会と人間への関心」を根底に持つ「人間探究の文学」であると私は考える。
確かに文学である以上、どこの国の文学でも人間を扱わない筈はないが、上述のように母国語を大切にしているこの国民性は、そのような言語を創り出した人間、そしてまたその人間の住む社会について、人間に関係のあるすべてのものに対して常に強い関心をもってきたと言えるのではないか、と考えられる。
そこで、フランス文学の特徴についてドイツの評論家ロベルト・クルチウスの文章を引用し、それをもってフランス文学は「人間が人間のために人間を探究する」点に特徴がある、と指摘しておきたい。
フランス文学は人間に関する連続講演であり、人間学の教程である。フランス文学のどのページも、『人間』を表示し、人間が『これこそわがもの』といえるものを表現している。フランス文学の偉大なところは、人間の心情のあるがままを感知し、その悲剥的な、あるいは怪奇な秘密を暴露する点にある。いかなる動機、いかなる情念が人間を動かすか? こういうことをコロルネイユが問い、ラシーヌが問い、パスカルが問うのである。魂の神秘的な奥にはなにが隠れているか? これをモンテーニュが問い、ラ・ロシュフコーが問い、ラ・ブリュイエールが問う。
フランス古典主義文学は、権勢欲、名誉欲、愛情煩悩を分析し、それが魂のなかでいかなる作用を示すかを分析したのだが、その成果は、いつの世にも妥当と見られるであろう。そして、こうした心理分析は、一片の迷いもない写実主義をもって特徴とする。フランス文学は、その回想録や書簡集や箴言集に、人間心理の研究資料を山積せしめたが、これに匹敵し得るものは、他のいかなる文学にもないし、まことに無尽蔵な宝といってよい。『アドルフ』(パンジャマン・コンスタン作)や『パルムの僧院』(スタンダール作)や『感情教育』(フロベール作)に見られるような情意の心理分析が、フランス以外のどこの国にあるだろうか? ダンテの愛はわれわれを星空高く運び去り、『ロメオとジュリエット』は、われわれを詩の海原に沈めてしまう。だが、ラシーヌを読むとき、われわれは、『まったくこの通りだ!』といわざるを得ないのである。出典:渡辺一夫・鈴木力衛『増補フランス文学案内』(岩波文庫別冊1・岩波書店・1999年08月17日 第53刷発行)
注1:「フランス語の擁護と顕揚」
1549~1550年頃、プレイヤッド派(すばる派・七星派)によって発表された。
これはギリシヤ・ラテン文学の長所を取り入れ、フランス語・フランス文学をより美しく、より豊かなものにしようとする新しい文学運動の宣言書であった。
注2:「アカデミー・フランセーズ」
1630年頃からシヤプラン、ゴンボー、デマレ・ド・サン=ソルランらの作家達がコンラール(王室付秘書)の邸宅に集まり、主として文学作品について意見交換を行っていたところ、それがリシュリュー枢機卿の耳に入り、これを公共機関ないし御用機関にしようと思い立ったのがアカデミーの起源。
国王の認可状は1635年に下されたが、実際に活動を始めたのは1637年以降で、会員達の主な任務は正しい国語を確立するために辞書を作り、文法書を刊行することだった。
実際、会員の一人であるヴォージュラにより『フランス語注意書』が1647年に出版されている。
アカデミーの辞書は1694年に初版が刊行され、その後たびたび版を重ねており、この伝統は現在まで守られ続けている。
3. 18世紀フランス文学の背景
『マノン・レスコー』を紹介するにあたり、作品が成立した18世紀のフランス文学の背景について、簡単に説明したいと思う。
18世紀のフランスは、前世紀である17世紀にブルボン王朝初代の王アンリ四世によって国家統一の基盤が固められ絶対王政が形成されたが、ルイ十四世の治世が終わったとき(1715年)には戦争と飢饉、重税、財政の疲弊により民衆は生活に喘(あえ)いでいた。
その結果、国王の権力や教会の権威に対する信頼の念が徐々に衰え始め、文学の中でも前世紀の古典主義文学における理性尊重の原則を受け継ぎつつも、その理性の適用される範囲が拡大して行った(古典主義文学から擬古典主義文学へ)。
批判対象の拡大は、今までは批判できなかった信仰の問題までもその批判の対象とするようになり、それが文明批評や社会批評という形になって啓蒙主義の文学が栄えるに至った。
そしてこの啓蒙文学の活動は、ついにフランス大革命を誘発する要因になったのである。
『マノン・レスコー』は情念のためには名誉も富も家柄も捨てて省みず、身の破滅をも厭(いと)わないという恋愛の物語である。
この作品の主題である、道徳や宗教よりも情念の方が優先するという人間描写や心理描写は、既成の社会や宗教の枠を認めた古典主義文学の手法では成立しないものであったに違いない。
4. 『マノン・レスコー』紹介(ネタバレ)
L’ Histoire du chevalier Des Grieux et de Manon Lescaut
(リストワール デュ シュヴァリエ デ グリュウ エ ドゥ マノン・レスコー)
騎士グリュウとマノン・レスコーの物語
パリにほどちかいアミアンでの遊学を終了し、休暇を利用して父の元に帰る前日、グリュウは駅馬車で修道院に送られる途中のマノンと出会う。
名家の出で学業優秀、人好きのする容貌を持つ温良で慎重な少年グリュウは、今まで異性のことなど考えたことすらなかったのであるが、若く実に美しいマノンを見た彼はたちまち情火に煽られて逆上してしまう。
熱情に駆られてグリュウはマノンを熱っぽく口説き、二人でパリヘ駆け落ちする。
パリヘ駆け落ちするも、手持ちの所持金が底をつくとマノンは金持ちの司税官の妾(めかけ)になり、グリュウを裏切って父の下へ返してしまう。
マノンが忘れられず苦しい日々を送るグリュウであったが、やがてマノンを諦め、僧門に入るべく神学校に入学する。
ところが1年後、パリで神学校の公開試験を受けたときに再びマノンと再会する。
一旦は裏切られたグリュウであったが、マノンの深い悔悟(かいご)とその美しさと、熱烈にマノンを愛していた自分を思い出し、マノンといられるその精神の自由を神学校でのキリスト教の教える自由より価値があると見出す。
そしてマノンと出奔(しゅっぽん)し、また贅沢な遊興生活に逆戻りする。しかし、それは長続きするものではなかった・・・。
マノンはグリュウを心から愛していたにせよ、遊興と贅沢がその愛以上に上回っている女性であった。
だからといってお金に執着する女性ではなく、いつでも楽しく遊んで過ごせるだけのお金が、貞操よりも重要なのであった。
しかも、自らは不貞と浪費の限りを尽くすが、それでいて汚れの知らぬ少女のように可隣で美しい女性なのである。
グリュウは聡明で優しく、名家の出であるだけに洗練されたものを備えていた少年であり、将来を誰からも有望視されていたが、マノンを愛するが故、またマノンの愛を信ずるが故にマノンのために賭博や詐欺まで働き、身を持ち崩してしまう。
グリュウは騎士の称号も、僧門に入って出世する希望も全てかなぐり捨て、マノンとの愛を、その生活を選ぶ。
しかしその生活には十分なお金がグリュウには必要であった。
そのためグリュウは賭博で十分な財産を得るが使用人に持ち逃げされ、マノンの兄レスコーの入れ知恵でマノンを金持ちの老人の妾(めかけ)にすることを裝ってお金だけを持ち逃げするような詐欺に荷担せざるを得なくなってしまう。
この詐欺事件によってグリュウとマノンは投獄させられるが、マノンを救うべく脱獄を図り、マノンをも脱獄させる。
しかし、まだ彼らには災難がぶりかかる。
脱獄を手助けしてくれた親友の親友(先に騙した金持ちの老人の息子)がマノンにゾッコン惚れてしまうのだ。
またしてもマノンはこの金持ちの老人の息子を騙して金品を得、自分達を投獄した親子に復讐するのだとグリュウにもちかける。
が、結局それに失敗し、マノンはアメリカへ流刑になってしまうのだ。
アメリカに流されるマノンを追ってグリュウもアメリカに渡り、やっと二人だけの平和と愛に満ちた生活を送ることが出来た。
マノンもここへ来て、自分の罪深さとグリュウの愛の深さを思い知ったのである。
だが、運命は徹底的に彼らに味方はしなかった。
グリュウとマノンが正式に結婚していないことを知った司政官は、マノンにソッコン惚れていた甥とマノンを結婚させるように決定してしまった。
やっとアメリカで幸せに暮らせることが出来た矢先、この不幸は二人を逃亡へと導いた。
そして逃亡の途中、荒野の中でマノンは息を引き取ってしまうのであった・・・。
マノンを失い、自分の死を願っていたグリュウであったが、マノンを埋葬した場所で倒れているところを救出され、フランスへ戻ることになった。
フランスに戻ったとき、アメリカへ渡る際にお世話になった「私」と運命的に再会し、今までの全てを「私」に聞かせたのであった。
5. ディスカッション
1)グリュウを心から愛するも、遊興と贅沢を引き換えに不貞を働いたマノンについてどう思いますか
2)自分の持てるもの全てをかなぐり捨て、マノンとの恋に生きたグリュウをどう思いますか
3)あなたはあなたの「マノン」となるような異性がいましたか
または「マノン」のような異性と恋がしたいと思いますか
6. 参考文献
- アべ・プレヴォー/青柳瑞穂訳『マノン・レスコー』(新潮文庫・1990(平成02)年07月20日 第60刷)
- 渡辺一夫・鈴木力衛『増補フランス文学案内』(岩波文庫別冊1・岩波書店・1999(平成11)年08月17日 第53刷発行)
おわりに
私は大学3年次、フランス人女性教授が担当する「外国文学」を履修した。
やった!フランス文学が学べるぞ!!と思っていたら、当の教授から「自国の文学すら読まない学生に、フランス文学なんて教えても無理でしょ?」と言われ、激しく落ち込んだものだ。
確かに、大学生にもなって自国の文学すら読まないバカ大学生に、フランス文学なんて意味がありゃしない。
ゆえに、「外国文学」の授業でありながら、フランス文化(しかもフランス人の実生活の話)の授業で終始していた。
そこで教授から課題が出されたので、私はアベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』でこのレジュメを切り、教授に了承をもらって授業をした。
まぁ、出席した学生にはサッパリだったが、教授は興奮して「私が日本人男性と結婚する時、私はアナタのマノンなのよ!って叫んだわ!!」と感激していた。
ともあれ、私が『マノン・レスコー』を読んだのは、19か20歳の頃だ。
当時、私には恋しい女性(ひと)がいた。それこそ、夜も眠れないほどに焦がれたのだ。
眠れないから、当時は毎晩アーリータイムスを1本呑んで寝てたけどw
それはともかく、若い頃は知識も経験も少ないから、私はスタンダールやモーパッサン等のフランス文学を読んでいた。
そのひとつにアベ・プレヴォーの『マノン・レスコー』があったに過ぎない。
だが、太宰治真理教の私は、この『マノン・レスコー』に心を揺さぶられた。
最晩年の太宰治がマノンで、その身の回りの世話をして太宰と一緒に入水した山崎富栄がグリュウであったからだ。
ネタバレもクソも、『マノン・レスコー』のような永遠に語り継がれる恋愛小説を知らない、もしくはちゃんと紹介している記事すらほぼ皆無な現状に、今更ながら驚く。
本当は、私がちゃんと再読してもっとマシな記事を書けばいいのだが、現状ではそれが難しいため、大学生の頃の稚拙なレジュメの記事化で失礼する。
色々と言いたい事や書きたい事もあるが、当時、そのフランス人女性教授に言われて絶句したことで締めたい。
「〇〇さん、アナタ、昼間仕事をして、夜遅くまでこうして大学で勉強して、人生楽しいですか?」
ウガー!(ノ`Д´)ノ彡┻━┻
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