テレビを見るともなくBGM代わりに作業をしていると、昨今は小学生からスマホを持つのが当たり前のようで、YouTube動画やゲーム、マンガもスマホで消化するようである。
もっとも、最近はYouTubeの5~10分程度の動画ですら視聴するのに耐えられないのか、支那製のスパイウェアであるTikTokで1分程度の動画が好まれるようだ(最近ではTikTokですら動画の長さ制限を3分に延長したようだが、ハッキリ言ってどうでもいい)。
動画はボケッと見てるだけで良いし、マンガも主体は絵だから読むのが楽だ。
ただ、ネットのマンガサイトはスマホに特化して下スクロールで読み進めるようにしつつあるため、最近の子供は従来のマンガのコマ割りが理解できず、どう読み進めて良いのかワカランという、アホな話になっているらしい。もっとも、人気マンガはテレビの深夜帯でアニメになるから、マンガを読まずに録画したアニメを観る方が遥かに楽で良いんだろう。
今までも「読書離れ」や「活字離れ」が各方面から指摘されて久しいが、近い将来「若者のマンガ離れ」が指摘されるようになるかも知れない。もはや、若い世代はマンガすら読まなくなっているのだ。
それは「出版不況」に代表されるような、ネットによる紙媒体の衰退といったメディアの栄枯盛衰の問題ではなく、私は識字率に影響するのではないか?と危惧している。
事実、中学レベルの漢字や英単語が読めない20代はザラにいるし、Fラン大は私の時代の公立高校レベルか、それに満たない程度の授業や講義しかしていないようだ。
従来よりFラン大の入試問題がネットでネタにされることがあり、改めて東京富士大学の過去問題集(入試問題)を見てみたが、とても大学入試レベルとは思えない。他のFラン大も参照してみようと東京福祉大学の入試問題も見てみたが、こっちはもっと酷い。
図はネットでの拾い物だが、大学の序列といった意味では分かりやすいと思う(厳密には国公立と私立で受験方法の違いがあり、さらに大学の学部によって偏差値や競争率が違うので正確な序列ではない)。
頂点の「神」をAランク大学とした場合、順に数えて「奴隷」がFランク大学であって、もはや大卒未満は人間ではないかのような時代になってしまった、とも言える。
その上で誤解を恐れずに言えば、上述したFラン大の入試問題が突破できないような学力の高校生は大学を目指すべきではないし、入学した大学のランクに関係なく、学生生活を無為に過ごせば社会に出ても使い物にならない。
例えば、私が興味本位でnoteに記事を書き始めた頃、「他の人はどんな記事を書いとるんじゃろ?」と思って色々と見て回ったが、ビックリするぐらい高学歴のワーキングプアの人が多くて驚いた。そしてその不満をnoteに書いているのだが、出身大学名をボカしている人でも、内容からして旧帝大卒やその院卒なのが分かる。
人も羨むような超優良大企業(中には外資系の場合もある)に入社しながら、いざ新人研修が終わって配属されるや、上司や先輩・同僚から「○○大卒なのにこんなことも出来ないのか」「△△さんは✕✕大卒の僕なんかより優秀でしょ」といったハラスメント(?)を受けたと、異口同音に述べているのだ。
人によってはそれで退職と転職を繰り返していたり、精神を病んでうつ病になっていたり、親のスネかじりのニートになっていたりと、千差万別だ。
なんでこんなことに・・・?と思っていたら次の記事を発見し、大いに納得したのである。
図は『「学歴」はあるけど「学力」はない』の記事のヘッダ画像だが、記事を読めばその理由が分かると思う。
記事の筆者は普通に考えて3流ではない大学を卒業したり、ドイツ留学まで出来るほど恵まれた家庭なんだろうと思うが、要は学校のペーパーテストで高得点を出す理解力があって学校の勉強が出来ただけの、中身のない人間になった典型のような話だ。恐らく、この人に限らず高学歴のワーキングプアも似たようなモンだろうと思われる。
私が社会に出て一番驚いたのは、「大人は文学を読んでない」ということだった。いや、文学作品だけではない。本を読まない人が圧倒的に多いという事実を、私自身がなかなか受け入れられなかった。
つまり、恋愛や人生の不可解な問題のヒントを文学に求める人が少ないということを意味しているが、別に恋愛や人生でなくとも、趣味や仕事や生活の疑問を本に求めないということなのだろうと思う。もっと言えば、普通に読書が楽しいと思う人がいないのだ。
ゆえに、ずっと「なんで本を読まないんだろう?」と疑問に思っており、今まで自分の中でスッキリと理解が出来なかった。だから「未知を放置していたら無知になる」という経験則を、未知なことを知ろうともしない人に当てはめて理解するしかなかった。
それがインターネットとSNSの普及、とりわけスマホの普及により、ネットのデマと詐欺情報に翻弄される情報弱者と、進んで自分の無知をさらけ出す人が爆発的に増えたのには、ただただ驚くしかない。
1980年代(私がプログラマとして正社員になったのは1989年)から2010年代の30年間、私はITを理解せず、または理解しようともしない人たちを相手に仕事をして来たが、やはり「なんで仕事に不可欠であるITとその有用性を理解しないんだろう?」と疑問に思っていた。
いや、少なくともITの有用性は十分ではなくとも分かっているハズだが、ITとその人材に対して理解しようとはせず、国も企業も予算や支払をケチり続けて来たのは間違いがない。
そこでついに、私の長年の疑問が氷解する記事に行き着いたのである。
今さらながら、SNSや仕事で接する若者(今や若者に限定されないが)に次の傾向が見られる。
- 意見(感想)と事実を区別できない
- 説明者の意図を正確に理解できない
- 具体的な根拠を示して自分の意見を説明できない
- 申し送りや伝達が正しく伝わらない
- グループで議論しても一方的に意見を言い合うだけで解決策が見つからない
これらは、正に「学歴」はあるけど「学力」はない人に該当するが、学歴も学力もない人はそれ以前の問題でお話にならず、まず仕事にならない。
日本語は、漢字・平仮名・カタカナを使い分けながら、ひとつの文章にそれらを混在させ、かつローマ字や英単語までをもそのまま盛り込んだりするから、アルファベット26文字で言語を構成する欧米人はもとより、同じアジア人にとっても日本語が難解であると言われる所以である。
これは平仮名・カタカナ・ローマ字といった表音文字と、漢字の表意文字を同時に使う日本語と日本人独自の文化であり、漢字にしたところで表音文字表現の音読みと、表意文字表現の訓読みがあるから、ネイティブな日本人にしたところで日本語は難しい言語ではある。
しかしながら、江戸時代でさえ寺子屋による「読み・書き・そろばん」教育のお陰で日本人の識字率は高く、庶民は瓦版でニュースを読んでいたワケだ。
じゃなければ、明治維新で政体が根底から変わったにせよ、そう簡単に産業革命をキャッチアップ出来るハズはなく、世界最強のバルチック艦隊を撃破したり、欧米より少なくとも30年は遅れていた航空技術で、零戦その他の戦闘機や爆撃機を開発して実戦に投入出来るハズがない。
それらは日本人の潜在的な知能の高さの証左であるが、その根底に漢字仮名交じり文という、独自の高効率な言語を自在に使いこなす民族性があることが指摘出来るだろう。
ともあれ、幼児期から少年期のごく年齢の若い時期の漢字学習がいかに重要であるか、上述した記事を読むと良く分かる。
つまり、漢字の成り立ちとその読みや意味を推理して理解することをしていれば、自ずと未知なことについても類推することが可能で、理解も早い。
逆に、ただ単に漢字が読めず、単語や熟語の意味が分からないから理解が出来ず、理解が出来ないと面白くないのは当然で、だから文章や本を読むことが億劫になって読まなくなり、理解力が養われず論理的な考え方が出来ない・・・これほどの負のスパイラルはないだろう。
例えばそれは英語やその他の外国語でも同じで、読めない(発音が出来ない)単語は覚えられないし、意味が分からないから理解が出来ないのと同じだ。
まぁ、日本人が欧米の文化をスッ飛ばして無理に英語を勉強する意味はないと思うが、受験に必要だから英語をやるのは仕方ないにせよ、漢字と同じで読めない英単語なんて覚えられるハズがなかろう。
それにプログラミング教育の必修化なんてのは、子供にプログラミングの機会を与えるには良いかも知れないが、英語に落ちこぼれている児童・生徒を無視して放置している現状を考えれば、プログラミング教育ではさらに多くの落ちこぼれを生み出すのが火を見るより明らかだ。その前に、小学校教諭にプログラミングなんて教えられるハズがない。
結局のところ、現代の日本人の活字離れによる読書離れと幼稚化、それと未だに大多数がITの本質を理解しないのは、幼児~少年期における漢字学習いかんによる、と言えそうである。
ちなみに私の父はアフォなほどの読書家だったが、息子の私への教育はほぼ無関心だったと思う。
だが、幼児期に「漢数字以外の漢字を1字書いたら小遣いを1円やる」と、職場から持ち帰った用紙と鉛筆を私に提示して目の前でテストした。
私は父に認められたいばっかりに一生懸命に知っている漢字を書いたが、父が毎回採点の際に必ず読み方と意味を問うたのが、父にとって私への唯一の教育だったのかも知れない。私が小学校に進学してすぐに国語辞典を母にねだったのは、そういった理由もあった。小学生になって駄菓子を買う小遣いが欲しかったのだ。
文化というのは文字言語による継承が基本であるから、漢字が読めず文章が理解出来ない若者を蔑んで非難するのではなく、次世代の日本を担う世代としてどう教育するべきかを、ここらで本気で検討し、実践しなければダメだろうと思う。仮に自虐史観の歴史認識を正そうとしたところで、基本の国語力がなければどうにもならない。
いや、もうすでに遅いぐらいだと思うが、どうだろうか?
そんな一日だった。(´ー`)y-~~oO
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