SNSにおけるデマと思考停止に関する一考察

現今のコロナ禍かつ緊急事態宣言中の世の中で、しかも国内外のワクチン狂騒曲が重なり、正直に言えばウンザリしている。そこでディスクの肥やしと化している、古く稚拙な自分の卒論を改めて読んでみた。
卒論でも触れているが、情報とは(大学でのゼミ指導教授は)「人間や組織にとって、有用でかつ体積も重量もないもの」と定義している。
そこで図の「意思決定のシステム的表現」を冒頭付近で示し、最終的に「IS構築における暗黙的ジレンマ・モデル」を提示して結論を述べ、卒論としていた。

私の拙い卒論の論旨はともかく、これを書いてから約20年、ITと社会は大きく変貌してしまった。
今やSNS社会でスマホ人間が蔓延している現代では、何よりも大きな変化は「情報」とその「価値」であるだろう。
例えばコロナ禍(私は個人的に「コロナ茶番」だと断じているが)にあって、現在の大衆的ヒステリーは既存マスコミと政治家の「無用な煽り」に拠るところ大であるが、その一方、SNSで陰謀論を含む雑多かつ広範囲に及ぶ情報と拡散の海の中で、マトモな人間の思考力をことごとく奪っているように思われる。
私が大学のゼミで専攻していた情報管理論的にも、そもそもの言語学的にも「情報」には様々な歴史的背景と意味があるが、最大の特徴として「伝達」という側面がある。
ゆえに、信憑性のあるなしに関わらず、それらの情報はSNSで飛び交い、錯綜し、デマや流言飛語となって蔓延する。無論、その情報の中には真実もあるが、人は自分の信じたい情報しか信じないといった特性があるのだ。

情報の洪水は濁流となり、津波となって押し寄せるその海の中で、人は「何を信じて良いのか」分からなくなるから、思考力が奪われるか、もしくは思考が先鋭化する。SNSで思考停止している人が多いのはそのせいで、いずれの場合もそうなる前に拒否すれば、それは「見て見ぬフリ」とならざるを得なくなる。
いずれにせよ、自身の思考(思想)と精神を健全なものとして保ち、アイデンティティを持ちこたえるには、All or Nothing といったポリシーを持たざるを得ないだろう。ごく簡単に言えば、これでノンポリの一丁上がりとなる。
Facebookで他人の投稿にわざわざ「シェアします」とコメントする頭と気持ちが悪い中高年や、ツイ廃のごとくTwitterにへばり付いているヒマ人は保守を気取るが、共通しているのは中身と脳が無いことだ。
悪いことに、こういった能無しスマホ人間が考えなしにデマや愚劣な感情を拡散するので、マトモな人間は単純に嫌悪するし、SNSから離脱することになる。むしろ、メシやファッションその他、毒にも薬にもならない画像中心のInstagramの方が心地良いだろう。ごく簡単に言えば、これで文章が読めない白痴の一丁上がりとなる。

いずれにせよ、お気軽かつ手軽に無料で手に入る情報なんて、所詮はそんなものだ。むしろそれを悪用するネット詐欺師の方がよほど頭を使っている、といったバカらしい現実が広がっている。
もう2~3年ほど前だったか、AI(人工知能)の発達とその応用に関して無用な恐怖心を煽ったり、レンブラントの筆致を学習し、「AIが芸術を生んだ」とさも知った風な低能が騒いでいたが、そもそもITすら理解出来ない人間に、AIを正しく理解出来るハズがないだろう。
冒頭で「意思決定のシステム的表現」を図で示したように、AIもコンピュータ・システムであるから、入力情報があって初めて出力情報を得ることが出来る。AIの「意思決定」部分はプログラミングされたロジック(論理)であって、入力情報にネットの膨大な情報量を与えることが可能になったから、AI研究が進歩してその出力情報がより良くなったに過ぎない。
むしろ、AIによる出力情報が正確であったり、人間の想像を超えるから価値があると同時に、無理解かつ低能な人間にとって脅威なのだろう。
AIに仕事を奪われる」と騒いでいるような連中は、それこそAIに駆逐されてしまえば良いのだ。AIほど入力情報とその蓄積がなく、自分でロクに考えられもせず、価値ある出力情報が出せない人間ほど、これからは生きにくい世の中になるだろうから。
そうすると、ますますSNSはそういったゴミの掃き溜めになることが予見されるな。
TwitterやFacebookはヒマ潰しや気分転換程度にして、本を読んでより良い入力情報を得た方が、遥かに有意義だ。

そんな一日だった。(´ー`)y-~~oO

 

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